奇跡講座のテキスト。第22章Ⅰ神聖な関係のメッセージ

空に浮かび上がる

今日は「奇跡講座 テキスト編」より22-1神聖な関係のメッセージ

いよいよ第22章に入りました!
あと10章♪

「私並みに足取りが重い人にとっての心の支えになれたらな!」
と、思って書き始めたものの、
今は、誰かのではなく、自分の心の支えになっています。

私は話すことよりも、書くことの方が圧倒的に機会が多いので、
ブログを続けるということで、自分の中の整理や、
自分のモチベーションを自分であげる、ということに繋がっています。

話すことでそれができれば、もっと効果があるかもしれません。
リアルタイムに兄弟の存在がからんでくるからです。

いつかはそちらの比重が多くなってくるのかな?
自分が奇跡講座/コースを学習していくことによって、
この世界でのあり方(自分の状況)がどう変わるかは、
特に心配せずに聖霊にお任せしています。

罪を必要とするのは誰だろうか。
寂しく孤独な者たち、すなわち、兄弟は自分とは違っていると見ている者たちだけである。
奇跡講座 テキスト編T-22.序.2より

自分がイライラしたとき、この見方を思い出してみれば、
ほぼすべてが「私なら、こうするのに!」と思っているから。
つまり、兄弟との間に壁を作って、兄弟と結びつくことを拒否している。

愛をもって、信頼する。
問題があるように見えたときには、聖霊に別の見方ができるように依頼する。

なぜなら、非神聖な関係は相違に基づいており、そこでは、各々が相手は自分のもっていないものをもっていると考えているからである。
彼らが互いに近づくのは、自分を補完し、相手から奪うためである。
そして盗めるものがなくなったと思うときまでそこにとどまり、それから次に進む。
奇跡講座 テキスト編T-22.序.2より

私の人間関係はすべてこの考え方で構築されてきた。
この世界で必要としているものを与えてくれるように見える人のそばにはとどまり、
得られるものがないと思える場合は、一緒にいても時間のロスと考えて立ち去った。
そんな関係って一つもないんだな。

「分離」という考え方を強調するために、
今まで人間関係を築いてきたのだろう。
自ら選択することによって、これからは「全一感」を育てることもできる。

自我の投影による「分離感への誘い」に乗らない。
そういう決意も必要だ。

今まで、まるっきりその考え方で成長してきたし、
きっと生まれ変わりの中でも強化し続けた部分だから、
一気に解消は難しいのは当たり前。

この世界で流れている時間とは別の時間を自分の中で持つことも重要かも。
未来もなく、過去もない。

この世界で流れる時間を重要視すると、どうしてもこの世界の優先順位で動いてしまう。
さきほども、その法則でこのブログよりも別のことを選択しそうになっていた。
心の中で何回も「何のために生まれてきたのだろう?」と自分に問いかけをして、
ある部分はやりたくないという気持ちが100%残っている中で机の前に座った。

神聖な考えは、それとは違った前提から始まる。
各自がすでに自分自身の内面に目を向け、そこにいかなる欠如も見なかった。
自らの完成を受け入れているので、自分と同じく全一な他者とつながることにより、自らの成長を延長させる。
彼にはこれらの自己の間の相違は目に入らない。
相違とは、肉体のみに関するものだからである。
奇跡講座 テキスト編T-22.序.3より

他者を受け入れる際に、自分も完璧と見ること。
自分に欠けている部分があると思えば、
他者にも欠けている部分があるという考え方を押し付けてしまう。
そして、自分の欠けているように思える部分に、他者を押し込めて満足する。
こういった関係の作り方から卒業したい。

私は自分の必要性を他者の欠点の中に求めてきた。
誰かに欠けている部分を指摘し、だから私があなたにとって必要なんです!と思わせてきた。

そうじゃなくて、相手も私も完璧で、欠けている部分はない。
そういう認識の前に立って、関係性を始めると、
二人は補い合うのではなく、二人一緒にいるからこその相乗効果で愛あふれるものの延長ができる。

自分の本性を否定して、自分が何か別のものだと固く信じることで、あなたが自分自身としてしまったこの「別の何か」が、あなたの視覚となる。
だが、見ている主体は「別の何か」であり、そのあなたではないものが、自らが見ているものをあなたに向かって説明する。
奇跡講座 テキスト編T-22.I.3より

これが心眼ではないものの正体。
神から逃れて自分の支配できる世界を神のように作り上げた、と思っている私の大きな間違い。
神とは違うけど、神のようになりたいと願い、分離感と罪悪感を両手に沢山もって。

神は罰を与えない。
神と私たちは分離していない。

神に秘密はない。
神はあなたに悲惨な世界を通過させてから、なぜそのようなことをしたのかを、旅の最後を待ってあなたに教えるようなことはしない。
奇跡講座 テキスト編T-22.I.3より

自分の中の神のイメージはなんて貧相なんだろう。
もちろん、それは自分のさまざまな思いを神に投影しているからなんだけど。
神という存在は、ありえないほど豊かであり、
私たちも同じなのだ。

しかし、ほんの少し前に非神聖な関係から再生したばかりの神聖な関係は、それに置き替わる以前にあった古い幻想よりもはるかに往古からのものではあるが、再生した今はまだ嬰児のごときものである。
それでもなお、この幼児の中で、あなたの心眼があなたに戻されるのであり、彼はいずれあなたが理解できる言語を話すことになる。
彼は、あなたが自分自身だと思っていた「別の何か」によって育まれるのではない。
奇跡講座 テキスト編T-22.I.7より

私たちの前に置かれた関係は、小さな赤子の状態なのだ。
それを育てるのは私たち自身。
今までどおり「別の何か」によって育てることもできる。
選択権はいつも自分にある。

兄弟と私たちの間に分離感を強めることなく、
私自身も彼らのことも全一としてみることができますように。

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