奇跡講座のテキスト。第21章Ⅴ理性の機能

あじさいはじめ

今日は「奇跡講座 テキスト編」より21-5理性の機能

ヤル気でない・・・
テキスト編読んでも、サラリと流れていくカンジ。
PC前でもう一度読んでブログ(ココ)書こうと思うと、他のことが気になってカタカタ検索。
暑い気がして、体がしゃんとしない。絶えず、どこか気になる。

ネットにネガティブなことを書くのは気が進まないけれど、
毎日書いていたら、いつもしっかり上昇志向なところばかりも見せられない。
ナチュラルでいくしかないのだ~
これでもきっと、少しずつ向上している、と思ってる(笑)

しかし心が分離すること自体が不可能である。
このもう一つの自己は、このことを完全に自覚している。
それゆえに、その自己は、奇跡は他者の心ではなく自らの心にのみ影響をおよぼすと認識している。
奇跡は常に、あなたの心を変える。
それ以外に心はない。
奇跡講座 テキスト編T-21.V.3より

今、○○時までに終わらそう!
こんなところでグダグダしていても、他のこともちっとも進まないんだから!
と思ったことで、スイッチがカチリと入ったようです。
スイッチ入るまでに時間かかるなぁ~(汗)

自分の心しか存在していない。
人の心のヒダのようなものが、あまりよく分からない私にとっては、
こういう言葉にすごく救われる。

自分の心しか見えないし、自分の心しか影響を受けない。
他人の痛みがあまり分からないけれど、
自分の心を丹念に見ていくことによって、いつか理解できるようになる。
その程度でいいんじゃないか、と思うようになってきた。

ずっと能力の平均化について考えていて、
ここでは能力をでこぼこさせずに一列にみんなで並んで、という空気が強いけど、
それでは突出しているところを押さえ、
能力の低い部分の底上げに時間を使うということだろう。

そうではなくて、
アプローチ先が同じ「心」というものであれば、
得意な方向からせめても、最終ゴールは同じだから、いいのでは?と。

周囲を観察し大切にすることで、そこに到達しやすい人もいれば、
私のように自己観察からそこにアプローチしてもいいのではないかと。
ただ単に苦手なことの後回し、なのかもしれないけれども。

ということで、奇跡は私の心を変えるし、私の心以外に心はない。
他の人の心をもっと見なさいという言葉に拒絶に近いものを感じるけど、
今はちょっとおいておこう。
これは多分、私の心がザワザワするためのフックなのだ。
自我の誘いには乗らない。

自分の心の動きって面白い。
今、私はようやく反発している心、分離していると思ってる心を感じ取った。
一つ一つがこういうことを捕らえるレッスンなのだ。
心をさまよわせ続けるわけにはいかない。

今日も少し先の課題に向かって、一歩前進することができますように。
聖霊が無理のない形で私たちに奇跡について学ばせて下さいますように!

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