奇跡講座のテキスト。第19章Ⅳ平安への障害-C死の魅力

パット・オースティン

今日は「奇跡講座 テキスト編」より19-4平安への障害-C死の魅力

のろのろと少しずつ進んでいます。
自我が大威張りしている状況なので、聖霊に協力をお願いしつつ。
一気に明け渡すこともきっとできるのでしょうけど、
恐怖感があるので、聖霊にペースを図ってもらっているような状況です。

肉体は感じることができないのと同じように、死ぬこともない。
それは何もしない。
それ自体では、腐敗するものでもしないものでもない。
それは無である。
肉体は、腐敗という小さな狂った想念の結果であり、その想念は訂正可能である。
奇跡講座 テキスト編T-19.IV.C.5より

調子の良いときには、肉体の存在を感じないことも多い。
しかし、調子の悪いときは自分にくっついているような、自分そのもののような感覚を持ってしまう。
そういうときこそ、「無」という概念を受け入れるレッスンをするのに適していると思う。

失敗は多い。
「無」だと思っても、痛みが薄らぐことは殆どない。
それでも、それが真実ならば、挑戦する価値がある。

肉体からの解放を求めるのはやめなさい。
そうではなく、あなたが肉体に課した無慈悲で容赦のない命令から肉体を自由にし、あなたが命じて行わせたことについて、肉体を赦しなさい。
奇跡講座 テキスト編T-19.IV.C.8より

まだまだ意味がうまく掴めていないのだけど、
痛みをなくしたいと思うのは、肉体から自分を解放しようと思うことなのかも。
痛みや肉体が存在すると思い込んではいけない。

「これでいいのかな?」とそのたびに考えていたけれども、
痛みをどこかへやってください、ではなく、すべては無だからと考え、
聖霊に状態を渡すというか、引き継ぐといいのかも。

これを私から取り上げ、それを見て、代わりに判断してください。
私がこれを、罪と死のしるしとして眺めたり、破壊のために用いることがありませんように。
どうすれば私がそれを平安への障害とせずに、あなたによって私のために使ってもらい、平安の到来を早められるかを教えてください。
奇跡講座 テキスト編T-19.IV.C.11より

悩まなくても、今日のセクション最後に書かれてました!
この部分、とても大切なので、手帳にも書き留めよう。
そして、自分が思うピンチのときだけではなく、平時にも常にこういう考え方ができますように。

今日も聖霊と、神の庇護のもと、歩みましょう。

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