奇跡講座のテキスト。第19章Ⅲ罪の非実在性

八重桜

今日は「奇跡講座 テキスト編」より19-3罪の非実在性

人間の相手が一人いるだけでも、
私の中からいろいろな感情が浮かび上がり、
すべては学びに変換できるのだなぁ~と、ひとしきり感心。

しかし面倒くさい。
もう一刻も早く、こんな面倒くさいことから脱出したい!と心から思います(汗)

今日起こったことは、自分のことを棚にあげて他者を攻撃する人と会ったこと。
私にとっては、攻撃は誰に対して向けられようと同じであり、
その攻撃相手も、攻撃している本人も、状況は違ってもおかれている立場は同じに見えました。

努めて穏やかに「それは、自分を攻撃していることに当たりませんか?」と言いました。
相手は自分と攻撃相手はまったく似ても似つかない!と言い、
その人の反論を聞きましたが、私には納得できませんでした。

何度説明をされても分からないという私を見て、相手は激高し始めました。
そこで「あっ、これは相手を苦しめてることに過ぎない!」と、
この話題はやめよう!とストップしました。
相手と私はどんなに会話や時間を重ねても納得できる地点は見えそうもありませんでした。

今日のセクションを読んで、
私はいかに自分が正しいと思っていても、それを相手に押し付けることは間違いではないか?
と思うようになってきています←現時点。

誤りと罪は違い、ゲイリー氏の本で誤りを正すことはOKだと読んだのですが、
いったい誤りって何だろう?
この区別がつかない間は、私は人の誤りを指摘することはできないのではないか。

今日や昨日のこと、先週自分が起こしたことをあれこれ思い出してみると、
どうも、自分の心はこの幻想の現実ベースに戻っているのではないか、と感じます。
問題があるから、対応方法を考え、実行する。

果たして、その「問題」とは、本当に問題なのだろうか?
忙しくなる前の私は、それを問題とは思わず、
相手をそのまま受け入れる、ということを常に考えていました。

そもそも「問題」などなく、それについて苦しむ必要はないのでは?
自分の考えることや、行動を、しばらくの間はキッチリ見張っていないと
暴走しているように感じます。

聖霊ともっと連携を取りたい。
それには自分から、聖霊に助けを求めなくては!

今日も穏やかな心で過ごすことができますように。
すべての人から苦しみが少しでも消えるように努力できますように。

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