奇跡講座のテキスト。第18章Ⅶ私は何をする必要もない

かもめ

今日は「奇跡講座 テキスト編」より18-7私は何をする必要もない

ようやく一年に一回の大仕事が終了。
少しずつペースを以前通りに戻していきます。

忙しかった間については、ここ数回のエントリで触れていますが、
一番大きな感想は「私はまだまだ学習者として、入口に立っているにすぎない」ということ。
どうしても、この世界のことに振り回されてしまう。

その渦中にある間は、いつもよりも妙なことを考える機会も多くて、
仕事にハマればハマるほど、奇跡講座/コースの考え方から遠ざかる。
自分の中の大切なこと、一番ブレてはいけない軸がぐらぐらと揺らぐ。
来年はもう少し進歩していたいものです(笑)

あなたがまだ一度もしたことのないことが一つある。
あなたは完全に肉体を忘れたことがない。
時にそれがあなたの視界から薄れたことはあるかもしれないが、完全に消えたことはなかった。
あなたに求められているのはほんの一瞬だけこれが起こるに任せることでしかないが、贖罪の奇跡はこの一瞬の中で起こる。
その後、あなたは再び肉体をみるが、それはもはや以前と同じではない。
奇跡講座 テキスト編T-18.VII.2より

確かに肉体を忘れたことがないし、
誰かと会話している時でも、肉体としての相手以外を見ることは難しい。
ということは、これは意識的に繰り返し行い続けなければ、
私は一生、肉体をメインに据えてしまうのではないか。

肉体を感じないようにする、ことが難しいのであれば、
それ以外の部分を感じるようにする、ということで代用できるのかな?

私は寝つきが良い方ですが、最近、寝入る際に気持ち良い言葉を発見しました。
心は一つであり、どの心とも分離していない。

ゲイリー氏の本で、寝る際に神との一体感を・・・という記載があったかと思います。
それもいいけど(そちらの方がさらに良いかもしれません)、
今の私には、こちらの方がピッタリくるのです。

どの心とも離れていない。
どんな事柄が私の目の前に展開していようとも、
あの人の心とも、この人の心とも、
嫌いな人も、好きな人も、私が一方的に知っている人も。
永遠に私たちの心は一つである。

そう思うと、とても安心できるのです。
どんないがみ合いがあっても、
「えっ、どうして私がこんな仕打ちを受けなくちゃいけないの?」
という風に思えることがあっても。

それは肉体を見ない、
または、肉体以外のものを見る、という考え方だと思います。

あなたの道はそれらとは違う。
目的においては同じでも、手段においては違っている。
神聖な関係は、時間を省く一つの手段である。
兄弟と共に過ごす一瞬が、あなた方両方に全宇宙を取り戻させる。
あなたの準備は整っている。
今あなたに必要なことは、自分は何もする必要がないと思い出すことだけである。
奇跡講座 テキスト編T-18.VII.5より

今までの習慣で、すべて自分で決めて行動してしまう。
「何もする必要がない」と、奇跡講座/コースが言っているのだから、
それに従うよう、努力してみよう。

今日も聖霊とともに、できるだけ多くの時間を学習に使うことができますように。
できれば明日も、今日と同じように更新できますように(笑)

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク