奇跡講座のテキスト。第18章Ⅵ肉体を超えて

蘭

今日は「奇跡講座 テキスト編」より18-6肉体を超えて

今日のセクション、長いし、意味がうまく取れない場所も多い。
穏やかな昼下がりに眠気満載でした(汗)
読みたくないんだろうなぁ、
抵抗を感じつつ、少しずつ、行きつ戻りつしながら最後まで。

天国とは場所でもなく、状態でもない。
それは単に完全なる一体性についての自覚であり、それ以外には何もないという智識、すなわち、この一体性の外側には何もなく、内側にも他には何もないという智識である。
奇跡講座 テキスト編T-18.VI.1より

場所でも状態でもない。
やっぱり想像できません。
最後にたどり着く境地については、あまり深く考えず、出てくる説明をさらりと読むようにしたい。
今はどんなに追及しても、分からないのは当然だから。

自分の肉体を憎んでいると思っているあなたは、自分自身を欺いている。
あなたは自分の心のほうを憎んでいる。
なぜなら、罪悪感があなたの心の中に入り込んでいるからである。
それにより、あなたの心は兄弟の心から離れていようとするが、それは心にはできないことである。
奇跡講座 テキスト編T-18.VI.2より

私は自分の希望通りにならないことについて、肉体のせいだと思ってきた。
ここで指摘されている通り。
肉体は何も悪くはなく、いつも中立のもの。
私の心が罪悪感を持っているから、自分と同一視している肉体を責めるのだろうか。
心の在り方を変えれば、肉体を責めず、兄弟との分離感もなくなるのかな?

心は心自身に到達する。
それは互いに相手に到達し合ういくつもの異なる部分によって構成されているのではない。
それは外に出ていかない。
それ自身の内側に限界はなく、その外側には何も存在しない。
それは一切を包含している。
それはあなたをすっぽりと包み込んであり、あなたはその中にあり、それはあなたの中にある。
それ以外のものは、どこにも、永遠に、存在しない。
奇跡講座 テキスト編T-18.VI.8より

この部分を読んでいると、とても気持ちが穏やかになる。
レッスンに苦労なんて必要なく、目の前に広がる現実を、聖霊が解釈しなおしてくれるのを眺めていればいいのだから。
人と会いさえすればいいのだ。

引きこもっていても、同居する家族がいればいいことだし、
ネットを通して人とつながる機会も多い。
それを機会ととらえればいいだけ。

どこにも探しに行く必要はない。
そのためにお金を積む必要もない。
選ばれた誰かだけに機会が与えられるのでもない。
社会的に底辺にいても、奇跡講座/コースの学習者として励むことはできる。

小池龍之介さんの受け売りだけど、人はどんどん強い刺激を求める傾向がある。
確かに、私が今まで求めていたのは「よりワクワクした生活」。
だけど、真の心が望んでいる状態とは、さらなる刺激を欲しない状態。
自我と真の自分が望んでいる状態の板ばさみにあっているようなカンジ。

こんな状態だからこそ、テキスト編ワークブック編をコツコツと進めなくては。
聖霊にもっと依存していればいいのだけど、今は自我の方が強いので、
少しずつ聖霊側に付くように、慣らしていく必要がある。
おやすみして、戻ってきて、その間の状態も覚えているだけに、より強く、そう思う。

今日も私が自分に与えられている環境をレッスンとして受け入れ、
聖霊に正しく解釈してもらうことができますように。

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