奇跡講座のテキスト。第18章Ⅳささやかな意欲

すな

今日は「奇跡講座 テキスト編」より18-4ささやかな意欲

聖なる瞬間は、神聖であろうとするあなたの決意がもたらす結果である。
それは答えである。
それを来させたいという欲求と意欲が、その訪れに先行する。
そなたがそのために行う心の準備は、自分が何にもましてそれを望むと認識するところまでである。
あなたがそれ以上何かをする必要はない。
実際、あなたにはそれ以上は何もできないと悟ることが必要である。
奇跡講座 テキスト編T-18.IV.1より

このセクションは読んでも良く分からなかった。
と、思うのは、自分が「多く望まれている」とか「多くしなくては」と思っているからだろう。
自分が思っているよりも、はるかに少ないことを望まれていることが、
どうも腑に落ちない。
そこには「私は求められれば、これくらいできるのに!」という勝手な思い込みがあるからかも。

聖霊が求めていないものを聖霊に与えようとするのはやめなさい。
ともなければ、あなたは聖霊に自我を付け加えて、両者を混同することになる。
聖霊はほんのわずかしか求めていない。
聖霊のほうで、偉大さと意力を付け加える。
奇跡講座 テキスト編T-18.IV.1より

私は赦しの機会を多く得る為に、
この世界の目標みたいなものをもって生活しようと思っているのだけど、
(しかし、心の中ではそれは幻想だと知っている)
それは「聖霊が求めていないものを聖霊に与えようとする」ということなのかなぁ。

・・・と、聖霊に聞いてみたら「そうです」という至極シンプルな答えが(汗)
この世界での目標を持ってはいけないとは言っていないと、
ゲイリー氏の本にも書いてあったような気がしますが、
私のような初心者はしない方がいいということかな。

せっかくいい目標だと思ったのに!とチェッと舌打ちしましたが、
こういう態度をみても、私がこの目標を通して、
幻想を現実化しようとしていることになるのかもしれません。
それくらい、入れ込んでしまう/しまっている目標なのかも。

私はお金持ちになりたいのだけど、
その姿を想像してウットリしてしまう時点で、
この目標はヤバいということなのかもしれない。

ゲイリー氏がハワイ移住に憧れて、
それが話題になったシーンがあったと思うので、週末にでも読み直してみよう。

あなたにとって聖なる瞬間を難しくしているのは、自分はそれに値しないという、あなたの凝り固まった確信である。
そしてこれは、あなた自身が望む通りの自分のままでいようという決意以外の何だろうか。
神はご自身にふさわしくない住居は創造しなかった。
だから、もしあなたが神はご自身の意志する所に入れないと信じているのなら、あなたは神の意志を妨げているに違いない。
意欲の強さはあなた自身から生じる必要はなく、神の意志のみから生じればよいのである。
奇跡講座 テキスト編T-18.IV.3より

冒頭にあまりうまく理解できない、と書いたのは、
タイトルにもなっている「ささやかな意欲」という言葉にもある。
ささやかな意欲を持ち続けるだけでは、奇跡講座/コースを続けていけないと思っているから。

もしかしたら現状は、ちゃんと説明されている通りなのかも。
すぐに脇道にそれて、継続が難しいと思っているけど、
今の私の状態は、道からそれることが気持ち悪い、心地良くない、と感じて戻ってくる。

道をそれていることが分かる。
そして「あー、こっちはダメだ、ダメだ。」と戻ってくる。
これって「ささやかな意欲」で継続できているということだろうか。

あなたは質問をするだけである。
答えは与えられている。
自分で答えようとしてはならない。
ただ与えられるままに答えを受け取りなさい。
奇跡講座 テキスト編T-18.IV.5より

私が怒られるのがキライ、説得がキライなのは、
自分の意志がある、自分の意志が正しいと思うからだ。
もう捨てた方がいいのに、と思いつつも、聖霊に尋ねずに自分を押し通してしまう。

よくこの部分につまづくのですが、今回もつまづいている模様。
少し頭を冷やして、出直してきます(笑)

今日も私たちが聖霊の答えを求めることができますように。
そして、与えられた答えに従う行動ができますように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク