奇跡講座のテキスト。第17章Ⅶ信を求める呼びかけ

虹。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より17-7信を求める呼びかけ

twitterでフォローして下さっている方はお分かりかと思いますが、
現在、私は、「赦したくないモード」に突入中です。
そして、このタイミングでブログを更新したくないので、
投稿画面を開きながら、別タブで他のサイトを見て回ったり、
さらには枝毛チェックはじめちゃったりで!!

ブログを更新すると、
「分かっているけど、受け入れたくない」ことを受け入れ、
赦すことになるからだと思います。
30分以上もまったく書けない状態が続いています・・・

大小もレベルも難しさの序列もないのに、
今回も前回とまったく同じ些細なことに違いないのに、
どうしてこんなにもゴネているのでしょうね(笑)
きっとブログを読んでいる人なら「どうせ赦すんだから、早く赦した方が楽だよ」って思うかと。

肉体には何も解決できないのだから、肉体に関する想念は不信のしるしである。
そうした想念がその関係に侵入するということは、その状況に関するあなたの想念における誤りであるが、今度はそれが、あなたの信の欠如を正当化するものとなる。
あなたはこうした誤りを犯すだろう。
しかし、それは少しも気にかけなくてよい。
誤りは問題ではない。
信のもとに運ばれた不信が真理を妨げることはない。
しかし真理に敵対して用いられる不信は、いつでも信を破壊してしまう。
もしあなたが信に欠けているのなら、それが失われた所で回復されるように求めなさい。
奇跡講座 テキスト編T-17.VII.3より

まさにそうだなぁ。
家族が○○してくれなかった、ということに対して発動しているのだから。

うちには私が養っている家族がいて、その人が家事をすべてすることになっています。
身体面での損傷はないので、働けるように見えるのですが、働いていないところが私のちょっとした悩みです。
就職先を探しているようにもみえません。

晩御飯は昨日の残りのカレーです。
ということは、特に準備なく温めるだけで用意完了です。
事前にご飯かうどんか問われたので、サラサラしたカレーだったのでご飯と答えました。
夕方17時ごろだったかもしれません、分かりましたと返信がありました。

21時に会社を出て、昨日のカレーを温め直しただけならば、
具なんか殆どないだろう、と思い「コロッケを買って帰ろうか?」と提案しました。
即答でいつもは返信がくるのに、15分たっても来ません。
最初は、他の人とのLINE応対に忙しいのかと思いましたが、
あまりにも返答がないので、家族は寝ているもようです。

20分以上たって、あわてて返信が来て
「まだご飯たいてない!」
「こんなに早いと思わなかった!」と言われました。

ここで思ったのは、
「うたたねしてるヒマがあったら就職活動しろ」
「夜中にずっと高校生みたくLINEばっかしてるから寝不足になるんだろが」
「ご飯かうどんか話をしたのは17時で今は21時半なのにご飯が炊けてないとは何事!?」
「こんなに早いって、私はいつも定時退社目指してんだよ、いつまで仕事させる気だよ、そんなに帰宅してほしくないのか??」

・・・と、まぁ、今も思っているらしく、書いていてヒートアップしそうな勢いなので、
この状況で赦せたら、今日は最高にすごいことが私の中で行われたことになりそうです(笑)
がんばるかぁ、赦したくないけど。

このセンテンスが伝えているのは、
あなたが考えていることは、何も起こっていない」ということです。
何かが起こったという前提で考えるから、誤ってしまう、うまく解決できない。
だけど、これを起こっていないと思いたくない私は、つい起こったことにしてしまうのです。

何も起こっていないし、相手も実は存在していなければ、
どうして今日はどうしても帰りたくなくて、
相手の言っている「相応に遅い時間」に帰ろうとしているのか。

バカみたいな些細なことです。
赦すことができたら、消えてなくなってしまうのです。
(毎回そういうシーンに出くわすと思うのですが)

だけど、手放したくない私は
「どうしていつも私が赦さなくてはならないの?」
「相手だって努力するべきでは?」
と、また全然真理とは違う土台を持ち出して、その上に状況を展開して演説します。

赦すまでの時間は短くなったような気もしますし、
まったく変わっていない気もします。
ただ、真理を知っているという部分があるので、(実践できなくても)
爆発したいけど、爆発できなくなったかも。

どこかの部分ではしっかり真理の方向を向いていて
「またやってら・・・」と冷めた目で見ているので、
それを知っていて爆発したら、それこそ大馬鹿にしか思えないから。

ということで、大分、赦しの段階に近づいてきたのですが、
こういう状況になってくると、
私の一部(自我に近い部分)は「あ~あ、ブログなんて書くんじゃなかったよ」と思っています。
真理に近づくのは絶対的に喜ばしいことなのに、
自分の足を引っ張る部分が自分の中に存在している。

書いていて気づきましたが、
どうして赦したくないか、
それは、赦さない状況でいることが、気持ちいいからです。
もちろん、それが気持ちいいことだと勘違いしているにすぎないのですが。

まったく何の役にも立たない不要な今までの経験の蓄積からいうと、
赦さず、自分が正しく相手が悪いことは、気持ちがいい、のです。
以前も思いましたし、今回も思いますが、
相手を赦すことは、勝負に負けるような気持ちになります。

あなたがそれを設定しなかった理由は、聖性は信じることによってしか見ることができないからであり、あなたの関係が神聖でなかった理由は、あなたが兄弟に対して抱いた信があまりに限られた小さなものだったからである。
設定されたゴールを達成するには、あなたの信のほうが成長しなければならない。
奇跡講座 テキスト編T-17.VII.4より

相手が成長すれば一件落着なのに、どうして私が成長しなくちゃいけないの?
本当によく思うことですが、ここでも「あなたの信のほうが成長しなければならない」とあるのですね。
ならない、ですから、ならないのでしょうね。。。

あなたが置かれている状況はどれもみな、あなたの関係のために設定された目的を果たすための手段に他ならない。
それを何か別のものとして見るなら、あなたには信が欠けていることになる。
あなたの不信を使ってはならない。
それが入ってくるままにし、穏やかにそれを見なさい。
しかし、それを使ってはならない。
不信は幻想の召使いであり、主人に対しては完全に忠実である。
不信を使えば、あなたはまっしぐらに幻想のもとへと運ばれることになる。
それがあなたに差し出すものに誘惑されてはならない。
奇跡講座 テキスト編T-17.VII.5より

まさにおっしゃる通りでございます。
幻想まっしぐら、でしたもん。
少し正気が戻ってきましたよ。
(読んで下さっている方、お疲れ様ですm(_ _)m)

不信が差し出す平安という幻想を受け入れてはならない。
そうではなく、それが差し出しているものを見て、それが確かに幻想であることを認識しなさい。
奇跡講座 テキスト編T-17.VII.5より

本当に奇跡コース/講座の実践は意欲が必要だなぁ。
意欲がなければ、いつでも私は喜んで放り出して、
今まで通り幻想の中でごちょごちょ世界をこねくりまわしていることだろう。

もうこんな面倒くさい世界に生まれ落ちるなんてまっぴら。
私のモチベーションのほぼ100%に近いところがこれで、
真理かどうかなんてハッキリわかっているわけではなく、
どんだけ自分がこの世界で痛い目をみたか、だけ、なのだと思う。

小さい頃から、自分の世界の主人公は私だと認識していたし、
10代の頃には「世界は私のものなのに、どうして私の思い通りにならないのか??」というところを
ぐるぐると何百回も往復活動を続けてた。

そもそも世界なんてない、ってわかった時には大喜びしたけど、
それから、こんなにも実践に明け暮れ、時間がかかり、
越えられそうにもない山が次々とやってくるるものだとは思いもしなかった。

だが、次のことについて考え、不信の原因を学びなさい。
あなたは兄弟があなたに対して行ったことを理由に彼を咎めていると考えている。
しかし、実際には、あなたは自分が彼に対して行ったことを理由に彼を咎めている。
あなたが彼のせいにしているのは、彼の過去ではなくあなたの過去である。
そしてあなたには、過去の自分自身の在り方のゆえに、彼に対する信が欠けているのである。
奇跡講座 テキスト編T-17.VII.8より

あいたたたた。
自我がつぶやく声が聞こえてきそうです。
彼に対する信が欠けていた、それが私が幻想に走ろうとする原因です。

あなたから兄弟に信を差し出しながら、それぞれの状況に入っていきなさい。
さもなければ、あなたは自分自身の関係に対して信を欠いていることになる。
かつて同じ目的があなたの中に信を呼び覚ましたように、あなたの信があなたの目的を共有するようにと、人々に呼びかけるだろう。
そして、かつてあなたが自分を幻想へ導くために用いた手段が、真理のための手段へと変容する様を、あなたは見るだろう。
奇跡講座 テキスト編T-17.VII.9より

心の中では赦し終えた気がしています。
あとは帰り着いたときに、相手の肉体をみて、幻想に引き戻されないか、信を渡すことができるのか。

かなりリアルに今日は綴ったので、
ショックを受けられている方もいるかもしれないですね。
神の使者(リンクは新装版)と出会って、7年たちますもん。
テキストは通し3回目だし、ワークブックも2回終了してる。
そんな状態でコレですから。

でもね、進みが早い人もいると思うのです!!
こういうところを軽々と突破できる人も。

あらゆる状況の中をあなたと共に歩む聖霊がいるからこそ、あなたは信を呼び出す。
あなたはもはや完全に狂ってはいないし、もはや孤独でもない。
奇跡講座 テキスト編T-17.VII.10より

聖霊と共に一歩ずつ歩みをすすめることができますように。

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