奇跡講座のテキスト。第17章Ⅵゴールの設定

Hellebore

今日は「奇跡講座 テキスト編」より17-6ゴールの設定

今日は、再び17章の続きに戻ります。

聖霊のゴール設定は概括的である。
そして今から、聖霊があなたと協力してそれを具体的なものにする。
適用とは具体的なものだからである。
どの状況にでも聖霊が提供する特定の非常に具体的な指針はあるが、あなたはまだそれらの普遍的な適用を認識してはいないということを覚えておきなさい。
したがって、現時点では、それぞれの状況で個別に使用することが肝心である。
だがそれは、いずれあなたが今よりもずっと広範な理解を身につけて、もっと安全にそれぞれの状況を超えたところを見ることができるようになるまでのことである。
奇跡講座 テキスト編T-17.VI.1より

自分の意思でなんでもできる、正しい選択ができると思わず、
どんな些細な状況に見えても聖霊にたずねることが必要なようです。

—ここまでは朝書いていて、ここからは今。

自分の思考なんてロクなもんじゃないな、と思う今夜。
とっかかりは、お願いした仕事が私の説明不足で、その後始末を私が付けることになったこと。
明らかな説明不足。

口で説明するのが面倒だから、適当に相手の言葉に合わせて「それでいいですよ~」なんて言ってた。
出来上がりイメージは、その人の中にあるものと私の中にあるものはピッタリだと思ってた。
でも、出来上がってみたら、やっぱり違ってた。
その人の仕事は無駄にはならないけど、もう少し違う形であったなら、二人の作業量は大幅に減ったハズ。

次に「私は書いて説明するのは得意だけど、口で説明するのは得意じゃない」ことに気づき、
その次に「何においてもしゃべる時に要点をハッキリと説明できないことに焦る」ことに気づき、
「モノゴトを整理して短い言葉でしゃべれない人は(私自身を含め)バカだと思っている」ことに気づいた。

私は自分がバカであることに多大なコンプレックスを抱いている。
いつもバカだと思われないように、一生懸命だ。
だから、人が話し始めたときに先回りして「わかった」と理解できたフリをする。
遠まわしに言う人が苦手。ハッキリ言われないと何を求められているか分からない。

それはまぁ、序の口であって、
私は周囲の人のしゃべる言葉について、かなりの確率で、こき下ろしていることが分かった。
分かりすぎて、呆然として、自分のダークさに泣けそうになった。

こんなに尊い道を歩んでいるのに、こんなにもダークだなんて・・・
世の中の何を見るよりも、自分の中がホラーだ。
怖すぎる。
ショックだ。

私は本当に自分を神と思いたいし、
周りの人は神だと思いたくない。
これこそが「the 自我」なのだけど、自分とくっつきすぎていて、自分の本性じゃないかとすら思う。

ということで、今日も聖霊の導きを得ながら、テキスト編について書いて寝ることにします。

起こってほしいことをあらかじめ決めておくことの価値は、単に、あなたが、それを生起させる手段として状況を知覚するようになるという点にある。
それゆえにあなたは、自分の到達目標の達成を邪魔するものを見過ごし、その達成を助けるすべのものに集中しようと、あらゆる努力をするようになる。
このアプローチにより、あなたが聖霊による真理と誤謬の弁別方法に近づいたことは一目瞭然である。
奇跡講座 テキスト編T-17.VI.4より

目指すものが明確であることは、その間の道のりを最短で行くために必要なこと。
奇跡講座/コースのゴールって何だろう。
言葉で説明できるものではないから、ページもあまり割かれていない。
あいまいに見えるけど、それは私の目が曇っているからで、実際は見間違うことのないもの。

当面の間は、まだまだ曇りが取れない気がするので、
それならば、と用意したものはイエス。
イエスを思い浮かべるのは、天国の状態を考えるよりも、私にはずっと具体的。

最終的には、イエスにこだわることもなくなるのだろう。
方向は間違っていないから、彼をゴール手前にすえてもいいと思う。

真理というゴールが設定されているところには、必ず信があるはずである。
聖霊はその状況を全体としてみている。
そこに関与する者たち全員が、そのゴールの達成において各自の役割を果たすことになるという事実を、そのゴール自体が確立する。
これは必然である。
誰も、何においても、失敗しない。
奇跡講座 テキスト編T-17.VI.6より

こんなダークな私にも役割があり、それは失敗することはない。
決して失敗はありえない。
今はまだ心が引っ張られたままだけど、眠りの時間を聖霊に有効に使ってもらおう。

面倒くさいし、自分の汚い面なんて見たくもないけれど、これを見つめなければ、光に変えることはできないのだろう。
(自分が美しく光輝く存在であることを願ってるから、見たくないのも当然だ)
そういう意味で、今日という日も少しだけ学びが進んだのだ。
もろ手を挙げて喜べればいいけど、今はまだ無理、しょんぼりだ。

聖霊が私たちの眠りの時間も有効に使うことができますように。
明日も明確なゴールに向かって、道を外れず、進むことができますように、小さな一歩でも。

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