奇跡講座のテキスト。第17章Ⅳ二つの絵

絵と、鏡の中。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より17-4二つの絵

あなたが作り出してきた特別な関係はどれもみな、その根本的な目的として、あなたの心を完全に占有して、あなたに真理からの呼びかけが聞こえなくなるようにすることを目指している。
奇跡講座 テキスト編T-17.IV.3より

誰かのことを、他の人よりも大嫌いだとか、その反対に大好きだとか考えているとき、
どちらも同様に、その感情の中に埋没してしまっていて、
相手の真実の姿を見ず、ただ、自分が作り出す幻想に対して気持ちを抱き続ける。

マズいことに、そういうプラスもしくはマイナスとも思える感情を持っているとき、
他のことが何も見えなくなっている。
その、自分の気持ちにしか注目できない。

今でも、そういうことに日々とらわれがちだけれども、
以前はもっとひどかったように思う。

ひとつの特別な関係に心をとらわれなくなったとしても、
また新たな対象が現れ、
いつも私の心は特別な関係に翻弄され続けていた。

それが当然のことだし、そうされるしかない、と思っていた。
私にそれを強いてくる相手たちが悪いだけだ、と思っていた。
私を解放する力を持つのは、相手たちだけだと思い、
ある人で私が解放を得られないと分かると、さらに特別な相手にめぐり合えることを祈り続けた。

スピリチュアル話で「自分の周囲で起こっていることに責任を持つ」というものがある。
すべては自分が起こしていることだったり、自分の鏡である、ということに納得し、
その上で、自分を変えることで現状を変えていくという姿勢。

言葉の上では理解できても、納得はできなかったし、
自分を変える方法なんて分からなかった。
(責任を持ちますって言ったって、じゃあいったいどうすればいいの?)
現状は変わらなかったし、現状を変えたい、という気持ちばかりがつのるばかり。

どの手法をとっても、私の目指す「現状を変える」に対しては、
一時的に効果があったりしてみたものの、
継続的に事態が良くなる、ということはなかった。

だからこそ、さまざまな手法を渡り歩いたのだし、
奇跡講座/コースに最終的に落ち着いたのかもしれない、とも思う。

奇跡講座/コースは、現状を、この世界を変えるものではない。
私たち学習者の心しか変わらない。
この世界を変えたい人たちにとっては、魅力はないだろう。

特別な関係の中に気持ちを置き続ける私は、まだ道の途中。
最終的には、相手が人間だけではなく、物に対する私の接し方も変わっていくのだろう。

聖霊は分離が起こって以来、誰からも離れたことはないので、聖霊とあなたの関係は一度も断たれたことはない。
そしてあなたの神聖な関係のすべてが、神があなたに意図した目的に役立つように、聖霊によって注意深く保存されてきた。
奇跡講座 テキスト編T-17.IV.4より

この世界の意味のない出来事に翻弄され、
ようやく再び、毎日の学習を開始するにあたって、聖霊の存在に心から感謝している。

気持ちが遠のいていたときですら、毎日「聖霊」という単語は私の中にあった。
実際に話しかけることは皆無であっても。
聖霊に導いてもらおうと一日のうち数回は思うけど、それ以外の大部分の時間はすっかり忘れている。

それでも聖霊は、私の心の中の真理へと向かうためのフックのようなものであり、
それがなければ、私は奇跡講座 テキスト編を再び手に取ることも、
このブログに向かうことも(ログインパスワードすら忘れていたのだから!)選ばなかったと思う。

まだ未熟な私は、これからも何回も離脱するだろうけど、
学びがどんどん深まるにつれて、離脱する回数が減り、離脱する期間が減っていくのだろう。

ある日突然、すべてを学んだから離脱しなくなる、ということはないと思う。
ただここに聖霊がいて、強烈にいつも私を分離の夢から解放しようと努力しつづけてくれている。
その端っこだけ、覚えていれば、なんとかなる。

今日も私たちが学びを放棄せずに、
聖霊と共に小さな一歩でも、確実に前進することができますように。
たとえ前進できなくても、前進の足がかりとなる小さな小さな歩みを踏み出すことができますように。

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