奇跡講座のテキスト。第16章Ⅰ真の共感

読み進める。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より16-1真の共感

ちょうど半分くらいの位置、「第16章 幻想を赦す」。
奇跡のコース テキスト編を読んでいた頃、書いてある意味が分からなくて、線を引いたり、意味を書き足したり、何ページも前に戻ったりしながら進めてた。
それに比べると、回数をこなしているからか、ずいぶんと読みやすくなった。
読みやすくなると、挫折もしにくくなるので(難しいと眠くなるし)とても嬉しい。

奇跡講座/コースのテキスト編は、どの部分も同じくらい大切で、抜かすことはできないけれど、
今日の部分は、聖霊との付き合い方について、今まで少しずつあらゆる場所に書かれていたことが、ぎゅっとつまってまとまっている気がします。
とてもここは参考になるな、そう思いました。

過去を実在のものとして永続させるために、共感を用いてはならない。
静かに脇へ退いて、癒しがあなたのために為されるに任せなさい。
たとえ、自分で状況判断をして、その判断に基づいて自分の応答を決めてしまいたいと、どれほど強く思ったとしても、ただ一つの考えを心に留め、それを見失ってはならない。
あなたの心を次のことだけに集中させなさい。

私はひとりではない。だから私が招いた賓客に過去を押し付けない。
私が彼を招いたので、彼はここにいる。
邪魔にならないようにする以外に、私は何もしなくてよい。
奇跡講座 テキスト編T-16.I.3より

共感を間違った方向に使うと、過去を共有することになり、
自分も過去を実在のものとするし、相手も過去を実在のものとしてしまう。

共感とは、苦しみを共にするという意味ではない。
奇跡講座 テキスト編T-16.I.1より

自我は常に弱めるために共感する。そして弱めるとは常に、攻撃することである。
奇跡講座 テキスト編T-16.I.2より

ただ、これは心の置き方であって行動の指針ではないことにも、気を付けないといけませんね。
弱っている人を気遣うのは、当たり前のことです。
相手の痛みを察してあげ、いたわることも同じ。

だけど、心の部分では「これは実在ではない」と覚えていなくては。
今まで、共感は愛だと思っていたので、奇跡講座/コースの「この世界はない」という教えと矛盾しているのでは?と感じていたので、スッキリしました。

聖霊はあなたを見捨てはしないが、あなたのほうこそ聖霊を見捨てないようにしなさい。
奇跡講座 テキスト編T-16.I.4より

ズキッ(笑)
私はいとも簡単に、毎日、あらゆる瞬間に聖霊を見捨てています。
彼からの呼びかけは、いつの時もあるのに、私は特定の瞬間にしかチャネルを開かない。

聖霊との間を、分厚い扉ではなく、向こうの透けないカーテンで遮っているかのよう。
以前はもちろん、まったく向こうの見えない扉で、精霊の存在すらわからない状態だったと思います。

今はカーテンなので、自分でシャッと簡単に開け閉めできるのだけど、まだ閉めている時間は長い。
レースのカーテンだから、向こうにいる聖霊の影は見えます。
できるだけ早く、カーテンなどという仕切りを取り払ってしまえるように、
今日も習慣づけを頑張ろうと思います。

兄弟の誰かがあなたに馬鹿げたことを求めてきたなら、それをしてあげるようにと、私は言ったことがある。
しかし、これは当然、兄弟もしくはあなたを傷つけるような馬鹿げたことをしてもいいという意味ではない。
なぜなら、ひとりを傷つけることは、もうひとりをも傷つけるからである。
奇跡講座 テキスト編T-16.I.6より

今日もイエスを自分の手本として、兄弟として、
片時も忘れることなく、一日を過ごすことができますように。
私たちが兄弟たちを虚像の世界に縛り付けることなく、解放の手伝いをすることができますように。

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