奇跡講座のテキスト。第15章Ⅺ犠牲の終わりとしての降誕祭

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今日は「奇跡講座 テキスト編」より15-11犠牲の終わりとしての降誕祭

罪悪感は犠牲のある状態であり、平安はあなたと神との関係を自覚している状態である。
罪悪感を通して、あなたは父と兄弟たちをあなた自身から除外する。
平安を通して、あなたは彼らを招き戻し、あなたが招いたところに彼らが居ることを認識する。
あなたが自分自身から除外するものは、恐ろしく見える。
なぜなら、あなたはそれが自分の一部であるのに、それに恐れを付与して外に投げ捨てようとしているからである。
奇跡講座 テキスト編T-15.XI.4より

今日も寝坊して、このブログも急ピッチで書いているのですが、
遅く起きたということに罪悪感を持たないようにしよう、と思いました。
このブログが書けなくても、自分を責めることはしないようにと。

神すら、私の不在をなげいてはいるけど、
私が遅く起きることによって、戻ってくることが少し遅れることについては私を責めないのですから。

誰も責めていないのに、(周囲の世界は幻想だし)
なぜ私が私を責める必要があるのだろう?と。
妙な具合に開き直ってしまったかもしれません(笑)

今日一日、私が私を受け入れたように、
兄弟たちのことも受け入れることを努めたいと思います。
実践というのは「こうだといいな」と思うことではなく、
「こうしていく」という強い決意のもとに実行に移すこと。
私が聖霊の存在を、愛が遍在しているということを絶えず思いだすことが大切ですね。

こうして、新年は喜びと自由の中で始まる。
為すべきことはたくさんあり、私たちはずいぶん遅れをとってしまって。
新しい年の訪れと共に、聖なる瞬間を受け入れなさい。
そして、大いなる目覚めにおいて、永きにわたり空席とされてきたあなたの持ち場につきなさい。
今年一年をすべて同じにすることで、これまでとは違った年としなさい。
そしてあなたの関わる関係のすべてを、あなたのために神聖なものにしてもらいなさい。
これが私たちの意志である。アーメン。
奇跡講座 テキスト編T-15.XI.10より

引用が長くなりましたが、切り離すことができませんでした。
去年もかなり違った年になったけれども、
すべて同じにすることで、これまでとは違った一年と」することができますように。

犠牲や罪悪感がなければ自由になれる。
それを兄弟たちにも同じように差し出すことを一日心がけます。

遅れを取っていることは確かですが、
焦ることなく、自分なりのペースで今日も奇跡講座/コースの教えを実践していきましょう。
聖霊が私たちと共に在ることを、私たちが認識できますように。

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