奇跡講座のテキスト。第15章Ⅹ再生の時

カラーズ

今日は「奇跡講座 テキスト編」より15-10再生の時

今朝も聖霊と押し問答のように「起きる」「もう少し寝る」でやりあいました(汗)
今日は「起きる」という選択をすることができ、
今は、そういう決断ができて良かった、と心から思っています。

きちんと起きて、余裕をもって一日を始めることは、
私にとっては、かなり良いことだと実感しています。
しかし、実際に「起きる」「もう少し寝る」のシーンに立ち会った時に、
常に「起きる」を選択することができません。

すべてのものは、一つの選択の変型でしかないのですから、
私にとっては、奇跡講座の教えに「従う」「今は従わない」という選択とまったく同じだと言えます。

言うだけ、というのは簡単だなぁ~とつくづく思います。
私は神の真理にもっとも近い道を進みます、と宣言するにもかかわらず、
いつも「従う」「今は従わない」で悩み、時には「今は従わない」を選択し、
「常に従う」という姿勢を取ることができていません。

今は、この世界への私の降誕を祝う季節である。
だが、あなたはどのようにしてそれを祝うのかを知らない。
聖霊に教えてもらいなさい。
そして聖霊を通してあなたが誕生するのを、私に祝わせてほしい。
奇跡講座 テキスト編T-15.X.1より

こういうこと(選択について)を考えていると、私は聖霊からみたら、
どれだけあほな子なんだろう?と情けなくなりますが、
こんな私ですら、聖霊は見捨てないので、
すべての人にとっての聖霊も同じくらい寛容に違いありません。

聖霊に教えて下さい、と聞けば教えてくれるでしょう。
それを私の心がしようとしないのは、面倒なことを押し付けられると思っているからです。

それぞれの形は、それらをすべての背後に隠されている一つの考えの被いに他ならないと認識される。
それは、次のような考えである。
愛とは犠牲を要求するものであり、それゆえに、攻撃と恐れから切り離せないものである。
罪悪感が愛の代価であり、それは恐れによって支払わなければならない。
奇跡講座 テキスト編T-15.X.6より

聖霊の言葉がすべて愛からのものであれば、そこには犠牲は伴わないはずなのに、
私は犠牲を要求されると勘違いしているのです。

私の中のこの考え方は非常に根深いものなので、
何回も根気強く言い聞かせ、同時に何回も実践を通して、
自分が納得できる体感を積み重ねるしか方法はない気がします。

時間も季節も、永遠においては何も意味しない。
しかしここでは、その両方を使うことが聖霊の機能である。
奇跡講座 テキスト編T-15.X.1より

永遠においては、時間も季節も意味を持たないのですが、
私たちがこの世界を「在る」ととらえていれば、
聖霊はうまくそのシチュエーションを活用します。

クリスマスからイースターまでは、
ぐっとイエスを身近な存在と感じることができるシーズン。
あらゆる場所にその象徴が飾られ、それをイエスが存在しているしるしと見ることができます。

機会を活用する/しないは私たち次第です。
今日も聖霊が傍にいてくれますし、
私たちを天国へ導く手伝いをしてくれる兄弟もたくさんいます。

今日という日が光輝く瞬間に包まれますように。

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