奇跡講座のテキスト。第15章Ⅲ卑小さと偉大さ

お迎えの準備。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より15-3卑小さと偉大さ

昨日、久しぶりに会う友達と話をしていて、
彼女の友人が一昨年、自死という道をたどったことを知った。

何度か書いているように、私は中学生の頃から自殺願望を持っていた。
ただ手段が分からなかったり、汚い死に方をしたくないと思ったり、
やっぱり死ぬことが怖かったり、
死ぬことが私を追い込んだ人たちに仕返しすることになるのか確信がもてなかったため、だらだらと自殺未遂したり、妄想したりするだけで死ななかった。

そんな私が「あ、死んでも無駄だな。」と気づいたのは、
その時に尊敬していた人からもらった言葉による。

自殺したとしても、
次に生まれ変わったら、そこからやり直し。

解放されたくて死を選ぶのに、
次の生涯は明るいものになると信じて死ぬのに、
それが今と同じ地点からのやり直しだなんて!!なにそれ!!

とんでもない!
この一生で、なんとかこの苦しさを切り抜けてやる!

私はそう思った。
だから、今は死なない。
死にたいなぁ、と思っても、死なない。

自殺しても無駄だから。
時間も生涯も。
ただの時間稼ぎにすぎない。

自分の罪悪感を昇華するという課題は、
どの時代・どの一生に生まれてきても同じ。
結局はそれがまったくゼロになるまで、私たちは輪廻を続ける。
なんと面倒くさいことだろう!

あなたは気の済むまでいくらでも卑小さの形態を試してみる自由があるが、それによってあなたがしていることは、自分の帰郷を遅らせることだけである。
というのも、あなたは偉大さの中でのみ満足でき、偉大さこそがあなたの生家だからである。
奇跡講座 テキスト編T-15.III.2より

だから、この言葉は私を後押ししてくれる。
いくらでも遅らせることはできる。
だけど、いつかは向き合って、自分の罪悪感を解放していかなくちゃいけない。

面倒だなぁ、と思いつつ、後回しにしても「やらなきゃ感」が妙につきまとう。
それは自分の本来あるべき姿からの声があるからだ。
ならば、もうこの生涯をそういうことに捧げよう、そして次はなし!
もう生まれ変わってこない!
心からそう願っている。

あなたは自分自身に対する大きな責任があり、それを常に覚えておくことを学ばねばならない。
そのレッスンは最初はむずかしく思えるかもしれないが、それが真実であり、自らの力を讃えるものであることを悟るとき、あなたはそのレッスンを愛するようになるだろう。
奇跡講座 テキスト編T-15.III.3より

最初はむずかしく思えるかもしれない。
その「最初」って、一体いつまで続くんだろう?
私にとっては、ずっと、今でも「最初」にいるような気がしてならない。

だけど、くじけない。
ゲイリー氏の本の中で、パーサが言っていたと思うけど、
自分がどれくらい神への道のりを進んだか、ということは、
自分にしか分からない。

それは自分にとってのこの世界の状況が変わることではない。
例えば貧乏生活から脱出できるとか、
イヤな仕事から解放されるとか、
キライな人と付き合いをしなくて済むようになる、そういうことじゃない。

そうではなく、自分の中から以前よりも愛があふれるようになったか、
同じ出来事に出会っても、
それに対して、今、自分がどう感じるようになったか、だと。

ただそれだけなので、誰かから褒めてもらえるわけではない。
自分がそう思う、それだけだから。

そうしていく過程で、段々、周囲の評価を気にせず、
自分に対する自分への評価だけで日々生活できるようになる。

誰かにイヤなことを言われたから今日はブルーではなく、
曇りが数日続くからブルーではなく、
自分の中に太陽を持ち、ずっと晴れたお天気にしているカンジ。

私は人に認められたい欲が強かったので、
自分に満足することがなかった。
たくさんの人に褒められることが、私自身の満足につながったから。
常に好評価を求め、その結果に振り回されて、いつも不安定だった。

自分の尺度は一つ。
自分がすべてを、どうとらえるか、だけ。

もちろん、たくさんの兄弟たちに支えられている。
関わってくださる方すべてに感謝している。
そのうちの一人が欠けても、私は成り立たない。

今日も兄弟たちと喜びを分かち合える日となりますように。
聖霊の導きに素直に従い、一日を過ごすことができますように。

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