奇跡講座のテキスト。第14章Ⅺ真理の識別法

あつまる。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より14-11真理の識別法

今日のセクションは長め。
クリスマスのセクションには予定通りたどり着かなかったけど、
年末年始はゆっくりできる(予定)ので、
奇跡講座/コースの中で特別に出てくるシーズナリティな部分を楽しみたいと思います。

だが、きわめて重要なことは、自分は何も知らないと学ぶことである。
奇跡講座 テキスト編T-14.XI.1より

今日のセクションを読んでいると、やはりワークブックをしたくなります。
私は何も知らない。
今の自分はどれだけ素直にそれを受け入れることができるのだろうか?

前回のワークブックの時は、今とは違う心持ちでした。
最初の方は自分にとってもお馴染みのワークとなっていて、
「もう十分わかってるって!」と、軽く流した日もあった気がします。
しかし、それは自我が拒否していることを、うまく見逃すように行動していたのだと分かります。

あなたによる学びは、現在には何の意味も与えない。
あなたがこれまで学んできたいかなることも、現在を理解する助けにはならず、過去を取り消す方法を教えることもできない。
あなたの過去は、あなたが自分自身に教えてきたものである。
そのすべてを手放しなさい。
どのような出来事も物事も人々も、過去の「光」に照らして、理解しようとしてはならない。
奇跡講座 テキスト編T-14.XI.3より

このフレーズだけで、一年間は学び続けられそうな気がします(笑)
過去の影を、いろいろなものに投影する限り、
今ある姿を正しく見ることができません。

私たちはこの方法に慣れ切っています。
奇跡講座/コースに出会うまで、この方法を使うことに疑問を持ちませんでしたし、
記憶力が良い人をうらやましがったりしたものです。
今回の生でも、過去生の記憶についても。

ブラッド・ピット氏が人の顔を覚えられない「失顔症」という病気で悩んでいる、
という告白をしました。
会う相手は、みんな彼に名前や顔を覚えてもらいたいと思っているでしょうから、
彼に忘れられることは周りの人にとってはショックなことでしょう。
もちろん本人も周囲の期待に応えられていないことに傷ついている様子でした。

普通に考えると、生活がいちいち大変だろうな、と思えますが、
こちら方向から考えると、それも良いのではないか?と。
人と関係性を築きにくくなるので、特別な関係にはなりにくいかもしれず、
自分の中心がしっかりとしていなければ、孤独感に悩まされるかもしれません。

ただ、奇跡とは習慣である、とあったように、
記憶を相手やモノゴトにかぶせない、ということは、
私たちの行動をそのように行い続けることによって、
病気にならずとも、きっと達成できることなのでしょう。

本当に奇跡講座/コースを続けていて思うことは、
繰り返しの実践を通して学ぶしかないな、ということです。
私のような普通の人は。

聖霊からの導きが限定されてしまうのは、ひとえに、あなたが少しくらいの役割なら自分で果たせると考えたり、自分の人生の特定の側面ならひとりで対処できると考えたりすることに因る。
そのようにして、あなたは聖霊を頼りにならないものにしてしまい、この空想上の頼り甲斐のなさを口実として、特定の闇のレッスンを聖霊から隠し続ける。
奇跡講座 テキスト編T-14.XI.8より

この部分を読んだ時に「その通りでございます!」と土下座したくなりました。
少しくらいなら、この部分なら、もう自分ひとりでも大丈夫!と、
ついつい聖霊を脇に置いて、自分で進めてしまおうとする。
ここに大きな落とし穴があり、これをやっている限りは、
その部分に私の自我は安住してしまう。

私にとっては仕事をしている時間がそうみたいなので、
新しい聖なる一年は、この部分を闇で隠さないことを目標に日々努力しようと思います。

自分の今までを振り返って、歩みの遅さは分かる。
だけど、遅くてもあきらめず努力しつづけたことによって、少しだけ前進していることも分かる。
それが今の私の支えとなっています。

今日も精霊の持ち分を奪わず、
真実に沿って生きるため、聖霊に委ねることができますように。

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