奇跡講座のテキスト。第14章Ⅹ奇跡の一様性

Wrapped gifts, ornaments and candle

今日は「奇跡講座 テキスト編」より14-10奇跡の一様性

今日、ゲイリー氏がツイッターでつぶやいていて、
そのページをたどってみた。
あんまり英語はよく分からないので、分かる単語だけ拾い読み。

Gary's tweet

サイトを訪れると、
文章よりもLunaちゃんのかわゆさに目を奪われましたが、
奇跡講座/コースからのクリスマスに関するの一節がありました。

“The sign of Christmas is a star, a light in darkness. See it not outside yourself, but shining in the heaven within, and accept it as the sign the time of Christ has come.”
クリスマスのしるしは一つ星であり、闇の中の一点の光である。
それが、あなたの外側ではなく内なる天空に輝くのを見なさい。
そして、それをキリストの時節が到来したしるしとして受け入れなさい。
奇跡講座 テキスト編T-15.XI.2より

クリスマスツリーのてっぺん星。
あの一つ星をたよりにして、三人の賢者がイエスとマリアのもとに集ったのだなぁ。

日本では「お祝いイベント」として定着してしまったけど、
改めて考えてみると、イエスの存在を信じていない人が祝うなんて
面白い地域だと思われてるだろうな。
日本人の懐の深さというか、イベント好きにはほんわか感じる。

新宿では「聖書」と大きく書かれた車や、
拡声器でずっと流れるイエスについての言葉、
黄色に赤で書かれた看板が沢山。

恐れで人の注意をひきつけようとする方法。
その問いかけの一つ一つに心の中で奇跡講座/コース的答えを返し、
静かにしかし声高にたたずんでいる人たちを祝福しました。

奇跡は、助けを求める呼びかけのどれに対しても、まったく同じ応答をする。
呼びかけに判断を下すことはしない。
単にそれが何であるかを認識し、それにしたがって応えるだけである。
どの呼びかけが、よく聞こえるか、より大きいか、より重要かといったことは考慮しない。
奇跡講座 テキスト編T-14.X.6より

奇跡には、聖霊にはものごとの大小が見えません。
どれも同じ声、同じ質、同じ大きさ。
兄弟たちが大きな声で助けを求めても、
小さな声で助けを求めても、両方同じ「助けを求める声」として受け止める。
どちらが重要ってレベルは存在しない。
どちらも同じもの。

この世界に存在する人たちは、
みな罪悪感を持っているから、この世界にひっぱられているわけで、
そういう風に見ると、どの人も助けを求めているのには変わりない。

本人が自覚していれば大きな声になるかもしれないし、
本人が自覚していなければ、助けを求める声は小さいかもしれない。
しかし、天国にいない、という状況はどちらも同じ。

それであれば、基準はひとつ。
助けを求める声か、愛にあふれた声か。
この二つのどちらかしか存在しない。

今日、自分でとんでもないミスをしてしまって、
その結果、家族を心配させてしまうことになった。
事態は改善しておらず、明日にはさらに悪くなるかもしれない。

だけど、私は「この世界って?幻想じゃんね!」と考えてみた。
不安が全部なくなったわけではないけど、
「最悪の状態になったとしたら、それは私の学びの場だ。
それ以外には何の意味もない。」と考えると少し楽になった。

その状態で家族に向き合ってみた。
以前ならば、私は「自分には非はありません」という風に
あれこれ画策して、家族に罪があるように見せかけ、
家族が自ら罪悪感を感じるように仕立て、満足していたシーン。

事態の大きさに最初は落ち込んでいた家族に、
家族には非はないこと(それでも自分を責めていたけど)、
私が起こしたミスであること、
家族がいれば、最悪の状態になっても乗り切れることを伝えた。

すると少しずつ家族の表情が明るくなり、
最後には、別の話題で大笑いできるようになった。

その時に、私は今までこの人にどれだけの罪悪感を投影してきたのだろう?と申し訳なく思った。
私がきちんとこの世界の仕組みについて理解し、
助けを求める声を真摯に受け止め、
愛はただあふれるままに流れさせていれば、何も問題は起こらない。
お互いに平安の中にいられるのだ。
相手がどうこう、ではなく、私がこうあることによって。

まだまだ道の途中だから、
こんな穏やかな日もあれば、嵐のような日もあるだろう。
ただ、その波はだんだんと平坦になり、
今生の最後には、波などまったく立たなくなるだろう。

あと何回、イエスの誕生日をこんな神聖な気持ちで迎えられるのか分からないけれども、もしかしたら今までの生涯の中で一番心が穏やかかもしれない。
見せかけの穏やかさではなく。
誰かに見せびらかす穏やかさでもない。

自分は確実に前進している。
そんな確信を持てるクリスマス。
面倒臭いことだらけだけど、ちょっぴり死なずにここまで長生きしてきて良かった、と思った。

あなたが兄弟にあてがう解釈はどれもみな無意味である。
聖霊に、あなたの兄弟を見せてもらい、彼の愛と、愛を求める彼の呼びかけの両方を教えてもらいなさい。
彼の心にもあなたの心にも、これら二つのレベルにある想念しか含まれていない。
奇跡講座 テキスト編T-14.X.11より

Merry Christmas!
May god be with you…

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