奇跡講座のテキスト。第14章Ⅴ贖罪の環

シクラメン

今日は「奇跡講座 テキスト編」より14-5贖罪の環

誰もが贖罪において果たすべき特別な役割を担っているが、一人ひとりに与えられるメッセージは常に同じであり、神の子は無罪だというものである。
各々がこのメッセージをことなった方法で教え、異なった方法で学ぶ。
しかし、それを教え、学ぶまでは、自分の真の機能が自分の中で果たされていないというおぼろげな自覚に苦しむだろう。
奇跡講座 テキスト編T-14.V.2より

奇跡講座/コースはここにも書かれているように、一つのツールです。
真理を学ぶには、異なる方法も取ることができます。
私はこれが一番自分にピッタリしていると思うから、これで学びますが、
それを誰かに強要することは誤りです。

別の方法で真理を学ぼうとしている人を非難することは、
相手が神の子ではないと宣言しているようなものです。
聖霊に従った上で、奇跡講座/コースの紹介をするのは大変喜ばしいことですが、
私たちは自我の選択で、奇跡講座/コースを誰かに押し付けることも可能だということをよく覚えておくべきです。

以前、あることについて強く思ったことがあります。
一つの事実(その時はそれが真実・真理だと思っていました)があり、
それをベースに様々な手法がありました。
例えばマッサージで言うと、足裏マッサージもあれば、全身リラックスタイプのアロママッサージもあるという具合です。

同じマッサージであり、それの目指すところは、
クライアントが施術前よりも良い状態になること。
足裏のマッサージ施術者がアロマ施術者を非難するのは違うと思うのです。

もちろん、自分の行なっている施術が一番良い状態に持っていけると思うから、
それをツールとして選んで、施術士となっているわけですが、
良い状況になるために、アロマを選ぶクライアントもいます。

クライアントが良くなければ、私たちは喜ぶものです。
それが自分による足裏マッサージを通して、でなくても。
他の方法、ツールを攻撃して、その道を閉ざしてしまうことは、
クライアントにとっても不幸なことになります。

たとえが下手で伝わりにくいかもしれませんが、
奇跡講座/コースの学習者、教師も、
他のツールで真理を目指す人たちを攻撃するのは誤りです。
他のツールとは、スピリチュアル的なものではないかもしれません。
この世界との関係の中において、真理に近づいていく方法を取る人もいるでしょう。

求めている人には情報を渡して、共有することはできます。
奇跡講座/コースについて相手が求めているのなら、素直にお話すべきでしょう。
聖霊と共に行動すれば、判断ミスは決して起こりません。

すべての人が真理を求めており、
それを教え、学ぶまでは、自分の真の機能が自分の中で果たされていないというおぼろげな自覚に苦しむだろう。
その自覚のために、自我に誘導されてさらに複雑な道に入り込む人もいます。
そういう時に、灯台のように、いつも輝いている存在があるということは、
きっと迷っている人の助けになると思うのです。

あなたは自分が見る一人ひとりについて、十字架刑と救いのどちらにふさわしいかを判断し、贖罪の神聖な環の中に入れたり、外側に置き去りにしたりする。
彼を清らかさの環の中に連れていくなら、あなたはそこで彼と共に休息するだろう。
彼を外側に置き去りにするなら、あなたは彼と共にそこにとどまるだろう。
あなたからのものではない静謐の中に居ない限り、判断してはならない。
奇跡講座 テキスト編T-14.V.11より

常に失敗談を話しているように、
私もよく「外側に置き去りに」してしまうことがあります。
その時、私は兄弟と共に外側に居て、
多分泣きそうな顔で私自身が救い出すことを待っているに違いありません。

自分も、そして兄弟も、救うのは私たち自身しか居ません。
誰かがやってきて救済してくれる世界ではありません。

今日もできるだけ穏やかな時間の中にすごせること、
聖霊の判断を私たちの選択とすることができますように。

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