奇跡講座のテキスト。第14章Ⅰ学びの条件

光あふれて。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より14-1学びの条件

もうすぐクリスマス。
奇跡講座にもクリスマスについて記載されている文章があります。
第15章 聖なる瞬間の11犠牲の終わりとしての降誕祭。
私のテキストの読み込みはクリスマスまでにそこに到達できませんが、
クリスマスから年始にかけて、その部分を読んでみたいと思います。

今日はまだまだ第14章に入ったばかり!
序を読むと、どうやら今までは自我の論理で、この章では聖霊の論理を取り上げるようです。

聖霊も自我と同じように、たやすく、巧みに、論理を使いこなすが、聖霊の結論は狂ってはいない。
それは自我の結論とは正反対の方向に進み、自我が闇と死を指し示すのと同じくらい明確に、天国を指し示している。
奇跡講座 テキスト編T-14.序.1より

テキスト編は、ワークブック編、マニュアル編(未邦訳)よりも、
とにかくテキスト編が大切だとゲイリー氏の本の中で述べられていました。
こうして少しずつ学習していくと、
何回か通読することができるのではないか?と思えてきました。

私は自分に期待をかけすぎるタイプです。
「私ならここまでできるんじゃないだろうか?」と思い、
一日にまとめて多くの章を読んでしまうのです。
それは当然、ムリをしていることなので、そんな日が長く続くはずがありません。
結果、テキスト編を本棚の飾り物にしてしまう可能性が大きいです。

こうして少しずつ続けているけれど、実はムラのある性格で、
がーっ!と沢山こなして、パタリと辞める。
そのほうが私には簡単なこと。

しかし、奇跡は習慣。
習慣は繰り返し行なうことによって、自分で習得するものです。
いくら短期間に繰り返し行なったとしても、その後パタリと辞めてしまえば、
それは習慣としては残りません。

何人かのグループでワークブック編テキスト編を、
同じ進みのテンポで学習するという話を聞いたことがあります。
この困難な道を進むには、隣に一緒に歩んでくれる人がいることは
大きなモチベーションとなりますが、私はとりたててオススメしません。
一人ひとり、心の学びにおけるペースが違うからです。

ワークブック編で多かったのは、「今日も昨日と同じ部分をこなしたい」という気持ち。
それが頻繁であったり、特定のレッスンに執着しているようならば、
前に進みたくない恐怖感なども疑う必要がありますが、
聖霊と共に歩んでいれば、そういうときは前日と同じワークをこなしても構いません。
その人にとっては、それが必要だから。

でも、誰かと一緒に毎日1つ、という具合に進めていれば、遅れるわけにもいかず、
なんだか大切な部分もあったハズなのに、次のレッスンに進んでしまう、
そんな日もあると思います。

・・・と、書いてみましたが、1周目はそれでもいいかも!
マイペースで進めるのは、自信がついた2周目でもいいかもしれません。
1周目を一人で進めるよりも、2周目を一人で進める方が挫折は少ないでしょう。

多くの人たちが奇跡講座/コースに触れてくれるといいな、とは思います。
が、それよりも大切なことは、ようやく奇跡講座/コースにたどり着いた人が、
止めないですむ仕組みかな。
もちろん奇跡講座/コースが合っていない場合は、
神へと至る道はこれだけではありませんから、他のものを選んでも良いのです。

となると、聖霊がやはりキーポイントかもしれません。
聖霊と共に歩んでいれば、奇跡講座/コースでなくてもいいわけです。
一番その人に最適な教材を差し出してくれるのですから。
是非、奇跡講座/コースを学び始めた人には、
聖霊との一体感を強めることを、奇跡講座/コースから離れるまでに目指して欲しいです。

あなたは祝福することを学ぶことができる。
そして、自分がもっていないものを与えることはできない。
それならば、もしあなたが祝福を差し出すなら、祝福はまず最初にあなた自身に訪れているはずである。
そしてまた、あなたはそれを自分のものとして受け入れているはずである。
それ以外にどのようにして、あなたがそれを与えることができるだろう。
だからこそ奇跡は、あなたがすでに祝福されているという証拠を、あなたに差し出すのである。
奇跡講座 テキスト編T-14.I.1より

今日も別ネタを用意していたのに、全く別の内容になってしまったのは、
聖霊が何か考えてるに違いないなぁ、と思いながら書いていましたが、
ここに結びつきました。

この部分を読んでいたときに「はて、証拠とは?」と考えました。
それらしいものを、もらった記憶がない、のです。
祝福キャンペーン中なので、祝福は多くの人に行なっているのですが。

たどり着いた答えは「聖霊の存在」でした。
だからこそ、奇跡講座/コースを学び始めたら、投げ出す前に聖霊との関係作りまでは行なって欲しい!と思うのです。
それが神のゆるぎない愛情表現であり、奇跡だから。

今日も自分に必要な分だけ、学びの機会はあるはず。
聖霊がそっと背中を押してくれることを感じられますように。
聖霊に背中を蹴飛ばされませんように!

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