奇跡講座のテキスト。第13章XI天国の平安

おさんぽ中。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より13-11天国の平安

「この人は、あと○○でさえあれば完璧なのに!」とよく考える自分がいます。
もちろんこれは自我なのですが、相手を完璧ではないと思ってしまい、
それが欠点であり、修正できると思ってしまう。

そもそも奇跡講座/コースを学び始める殆どの人は、
人間関係の中で何かつまづいている部分があるのではないでしょうか。
この世界でうまくやっていけない、というのは、すべて 人 が関わっているからです。
反対に言えば、この世界に満足している人は人間関係でも何の不満もないでしょう。
そして、人間関係に何の不満もない人であれば、この世界にも満足していると思うのです。

この世界で、この時間が流れる有限の世界で、私たちが学ぶものは、
人との関わり方だけだと言えます。
お金のかせぎ方でも、何かを達成するためでもない。
そのどちらを達成しても、心の平安がそこにあるかというと、100%そうではないから。

人と関わっていく中で(文字を読む殆どの人が誰かと関わって生きていますよね)、
心の平安を保ち続けるには?
それを私たちに教えてくれるのが奇跡講座/コースであり、
私たちと神の仲介役として傍にいてくれる聖霊であり、イエスです。

この世界のいかなるものも、この平安を与えることはできない。
なぜなら、この世界のいかなるものも、全一には共有されてはいないからである。
完全な知覚にできることは、何が全一に共有され得るかを、あなたに見せることだけである。
奇跡講座 テキスト編T-13.XI.4より

すべてが一つであり、完璧な姿であること。
なんとなく理解しはじめていますが、まだ実感できる段階には至っていません。
ときどきは感じているような気がします。

今、私は「些細なことでも赦しを行なうキャンペーン」を自分の中ではっています。
とはいえ、達成できるまでは続けられるキャンペーンなので、
明確に期間が決められているわけではなく、達成できるまでのキャンペーン(笑)

すぐにカチン!と来るタイプの私は、
混んでいる通路で、前の人が自分よりも遅く歩いている場合、イラッと来ます。

ものすごく些細なことです。
日常茶飯事です。

その時に、前を歩いている人を必ず赦す。
その人を祝福し、この世界が存在しないことを思い出し、聖霊に心を明け渡します。

前を歩いている人がタバコを吸っているとき、
かならず私は苦しくなったり、咳き込んだりします。
その時も同じです。

いずれも、とても小さな出来事。
だけど、私は器がとても小さい人間なので、
自分にとっての些細な出来事を赦すことができなければ、
自分にとっての大きな出来事や、かかわりの薄い出来事まで赦すことができない。

奇跡に大小はない、ということですが、
小さなことが赦せれば、大きなことも赦せる。

私はその小さなことの方が、自分の心を捕まえやすいし、フォーカスしやすいので、
そちらの方向から心を鍛えているだけです。
大きい方からアプローチするのが得意な人もいるかと思います。

心が疑念と罪悪感で暗くなっているあなたは、次のことを覚えておきなさい。
神はあなたに聖霊を授け、そして聖霊には、神のいとし子が自分自身にもちらした疑念と罪悪を一つ残らず跡形もなく取り除くという使命を授けた。
この使命が失敗することはあり得ない。
神が達成させたいものの達成を妨げるものは、何もない。
聖霊の声にあなたがどう反応しようと、あなたがどの声を聞く選択をしようと、また、あなたにどんな奇妙な考えが浮かぼうと、神の意志はすでに為されている。
奇跡講座 テキスト編T-13.XI.5より

何度も聞いていて、理解していても、改めて聞くと嬉しい言葉があります。
神の意志はすでに為されている、私たちが今、どんな選択をしてしまっても。

私はある面では完璧主義なところがあって、
そのことについては、一つ過ちを犯してしまうと、最初に戻って、まっさらな状態から再度開始したくなるくらい。
だから、こういう言葉はかなり私を楽にしてくれます。
完璧である必要はない、一つ過ちを犯したとしても後戻りする必要はない、あきらめる必要はない、投げ出す必要はない。

今日も一日、神を愛するように兄弟を愛する努力ができますように。
彼らの中の光を、たとえ小さなものでも見出すことができますように。

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