奇跡講座のテキスト。第13章Ⅹ罪悪からの解放

こがね色。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より13-10罪悪からの解放

奇跡講座/コースから離れたいらしく、いろいろな理由をみつけて逃避開始しています。
今日も体調悪いせいにして、逃げようと思っていたようです。

聖霊は、そんな私の行動について、全体的にあきらめることはありませんが、
逃げようとする私に否定的な言葉をかけるわけでもありません。
きっと、戻ってくると、信頼と愛情を注いで下さっているのだと思います。

私が聖霊ならば、こういう時の私を見ていると「報われない仕事だなぁ」と思うに違いありませんが、
実際の聖霊はそんな考えはまったく思い浮かばないという存在でもあります。
だから私も安心して、彼らを頼れるのかもしれません。

過去を「解決する」ための手段として兄弟を使おうとしながら、彼らを真にありのままの彼らとして見ることができると、あなたは思うのだろうか。
救済は、存在していない問題を解決するために兄弟たちを使う者には見つけられない。
過去において、あなたは救済を望まなかった。
あなたは、自分のそうした無益な願望を現在に押し付けながら、今、救済を見出したいと望むのだろうか。

だから、これまでとは違った自分になろうと決意しなさい。
どの関係も、自分を過去につなぎとめておくために使ってはならない。
そうではなく、毎日、一つひとつの関係の中で、再生しなさい。
わずか一分か、それ以下の時間があれば、あなたを過去から自由にし、あなたの心を平安のうちに明け渡すのに充分である。
自分が父から歓迎されたいと望む通りの歓迎の仕方ですべての者を歓迎するとき、あなたは自分の中に罪悪を見なくなるだろう。
奇跡講座 テキスト編T-13.X.4-5より

私はシニカルな人間です。
人を疑うことの方が、人を愛することより得意です。
だからこそ、自分の中の愛(なんてものがあるのならば)を見出したいと思うのです。

これまでとは違った自分になる。
その決意は大きなもの。
自分に過去があると思っていたら、そんなことは恥ずかしくてできないから。
「今日の倉田さんはどうしちゃったの?」と言われそうで。

でも、それができるか、できないかは大きなチャレンジ。
自分の過去を解放できるか、できないか、ということにつながるからです。

愛したいと思うなら、愛せばいい。
そんなシンプルなことができないのは、目に映るいろいろなものに過去をはりつけているから。

私たちはすべて同じレベルの存在です。
兄弟たちと私の間に差はまったくありません。
すべての兄弟が神聖で愛すべき存在です。

兄弟を愛せないとしたら、私は何を見ているのだろう?
今日一日、そういう風に考えることを心がけたいです。

聖霊が私たちを(できればソフトな方法で)導いてくださいますように。
神の愛が感じられますように。

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