奇跡講座のテキスト。第12章Ⅶ内側を見る

街路

今日は「奇跡講座 テキスト編」より12-7内側を見る

聖霊は目に見えないが、聖霊の臨在を結果を見ることはでき、それを通して、聖霊がそこに居ることをあなたは学ぶ。
奇跡講座 テキスト編T-12.VII.2より

このセクションでは、見えないものの存在を確認できるのは、
それの結果を見ることで実感できる、ということが繰り返し書かれています。
今の時点での私は、なんとなくそういう風に感じる、という程度。

聖霊に判断してもらって行動した結果、いいカンジになっているとは思うけど、
その確信が心の底からのものではないのか、それともまだ薄いのか、
聖霊に判断を委ねず、自分で先走ってしまい「あーあ」なんてことも。

ただ、今日のセクションを読んで、
やはり結果からしか、そういうことは分からないんだなぁ~と、
改めて納得できた気がします。

すでに述べた通り、あなたが何を投影または延長するかは、あなた次第である。
しかし、あなたはどちらか一方を行わずにはいられない。
それが心の法則だからであり、また、あなたは外側を見る前に内側を見ないわけにはいかないからである。
内側を見るとき、あなたは見るための導き手を選択する。
その後、外側を見て、その導き手の証人たちを見る。
だからこそ、探し求めているものを見つけるのである。
あなたは自分の中で望んでいるものを、顕現させる。
そして、自らそれを望むことによってそれを世界に置いたのだから、あなたはそれを世界から受け入れる。
あなた自身は自分が望んでいないものを投影していると思っているときでも、その理由は、あなたが確かにそれを望んでいるからである。
奇跡講座 テキスト編T-12.VII.7より

蛍光ペンでマークしておきたいくらいの部分!
すべては自分の内側の投影である、というのは耳タコなくらい聞いているのですが、
それがどんな仕組みで投影されているのか、どんな順でモノゴトが起こっているように見えるのか、
それについての具体的な記載に納得。

最初から相手の外側を見るわけではなく、まずは内側を見る。
本当は、彼の内側は光であふれているのだけれど、
自分が自我という導き手を選択している場合は、光はベールに閉ざされて見えない。
その世界を、彼の外側に見るから、神の子として見ることができない。

だから自分の選択が、何にもおいて、まず存在する。
と、いうことを自分に叩き込みたい。

キリストの目を通せば、実相世界のみが存在し、実相世界のみが見える。
決断する通りに、あなたは見るのである。
そしてあなたに見えるもののすべては、あなたの決断を証ししているにすぎない。
奇跡講座 テキスト編T-12.VII.11より

以前、少し触れたかもしれませんが、以前知り合った人がこういう経験を話してくれました。
「周りの人が光だらけに見えて困るワケ!
だって、自分がどんなにあの人嫌い!と思っても、その人もピカピカで愛おしくなってくるんだよ!」

後から、思い出すたび「うらやましい!私にもそんな風に見えたら!」と思っていましたが、
この部分を読むと、彼女は彼女の選択の結果として、そういう世界が見えていたのですね。

彼女の心の選択が土台にあってこそ、そういう世界が目の前に広がっただけ。
外側から彼女に突然授けられた能力ではなく、選択の積み重ねで彼女の世界ができていた、
ということが良くわかりました。

あなたが死への願望に屈したい誘惑にかられるとき、私は死ななかったということを思い出しなさい。
あなたが内側を見て私を見るとき、このことが真実であることに気がつくだろう。
私が自分ひとりのためだけに死を克服したと、あなたは思うのだろうか。
そして、父が同じものをあなたに与えることなく、私だけに永遠の生命を与えたということがあるだろうか。
奇跡講座 テキスト編T-12.VII.15より

クリスマスシーズン。
去年とは違った気分で、このイベントを受け入れている自分がいます。
イエスがこの幻想の世界に生まれ落ちた日。
そして、それは、彼の生涯で復活を迎えるための日々の始まりです。

彼の語る言葉に出会えたこと、こうして日々共に過ごせることに感謝します。
今日も聖霊とともに、自我の判断ではなく、聖霊の判断を私たちが選択できますように。

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