奇跡講座のテキスト。第12章Ⅰ聖霊による判断

輝く夜

今日は「奇跡講座 テキスト編」より12-1聖霊による判断

今日から第12章。
「第11章 神か、自我か」の章は眠かったです(笑)
読んでいるときも眠かったし、日中も眠かった・・・
拒絶反応だとしたら、第11章は、今後何度も読み返すことになりそうな候補ですね。

理解すべきことは、あなたはいかなるものに対しても、直接それに応答するのではなく、それについての自分の解釈に応答するということである。
そのようにして、あなたの解釈がその応答を正当化するものとなる。
それゆえに、他人の動機について分析することは、あなたにとって危険である。
もしあなたが、誰かが本当に自分を攻撃しようとしたり、見捨てようとしたり、隷属させようとしたりしていると決めつけるなら、あなたは彼の誤りを自分にとって実在のものにしてしまったため、彼が実際にそのようなことをしたかのように応答する。
誤りを解釈するとは、誤りに力を与えることである。
そして、これをしてしまったなら、あなたは真理を見落とすことになる。
奇跡講座 テキスト編T-12.I.1より

11-8の聖書の話「幼子のようになれ」という部分と似た話です。
今、まっさらな幼子のような気持ちですべてのことに対峙できたら、
その時、私は一つ一つのことに対してどんなことを感じるだろうか?

「直接それに応答する」ということが私にはできていません。
「自分の解釈に応答する」ことばかり、毎日行っています。
まだまだ聖霊に委ねることができず、自我中心で行動しています。

困ったことや、ひっかかることが出てきたときには、
聖霊のことを思い出しますが、
特に問題なく過ごせているように見えるとき、私は聖霊の存在を無視しています。
自我というのは、ここまで私たちをコントロールしようとするものなんですね。

周囲の人と協力して生活してきた人に比べると、
一人で自立して生活することを目指していた私のような人の方が、
自我の影響は深いような気がします。
聖霊すら無意識の中で「頼る相手」として映り、自分で即座に何でも決めてしまう気質だから。

とはいえ、周囲の人と良い共存状態にある人たちが奇跡講座/コースを手にする機会は、
まだまだ先のことになるでしょうから、そちらの環境の方がいい!ということもなく、
すべての人に対して、奇跡講座/コースは平等に存在するのでしょう。

そして、ここでは、よく行ってしまいがちな、
「他人の動機について分析する」ことの危険性についても述べられています。
何かに対して納得できないときに、よく行う方法です。
「○○さんは過去の経験から、私には不快でも、そういう行動をとったに違いない」
と解釈し、納得させようとする考え方。

「彼の誤りを自分の実在のものにしてしまったため、
彼が実際にそのようなことをしたかのように応答する。」
現実化してしまう、現実に存在したこととしてしまう、ことになるようです。

とにかく聖霊を呼ぶ!それが一番大切で、すべきことなのでしょう。

今日もブログネタを考えながら通勤、2個浮かんできました。
そのうち1個は却下されたので、もう1個で書こうと思っていました。
ブログを書き始める前に一応(笑)聖霊に言葉を紡いでくれるようお願い。

最終的に書いた文章は、まったく書く予定のなかったものとなりました。
聖霊の意図ってそんなものですね。
まったく予想がつかないし、どこに行きつくかも私は分かりません。

愛を求める懇請に愛を与えることをもって応える以上に良いやり方があるだろうか。
奇跡講座 テキスト編T-12.I.10より

夏のワークショップでのコオさんの話が思い出されます。
彼は日々経験することの中で「あっ、これは愛を求められているだけなんだ」と良く気付かれるそうです。

今日も聖霊と共に歩むことができますように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク