奇跡講座のテキスト。第11章Ⅳ神の子が受け継いでいる賜り物

紅葉

今日は「奇跡講座 テキスト編」より11-4神の子が受け継いでいる賜り物

これが再覚醒へと向かう決定的な一歩である。
この逆転における初期の段階は、しばしば、かなりの苦痛を伴うことがある。
外に向けられていた非難が撤回されると、それを内に抱え込んでしまう傾向が強いからである。
内と外に区別はないがゆえにこれらはまったく同じことだと悟るのは、最初のうちは難しい。
奇跡講座 テキスト編T-11.IV.4より

このセクションの冒頭は
「あなたから何かを奪うことができるのは、あなた自身だけである」
という言葉から始まっています。

最初は周りの人に自分の罪悪感を投影しても、
何も気づかずに生活していきますが、
奇跡講座/コースを学び始めると、
それがすべて自分の中の投影だったということを知り、
少しずつ赦しを実践していくようになります。

次に陥りやすいのが、自己嫌悪。
周囲の人の受け入れがたい行動は自分の投影だと分かり、
その人たちを責めることはしなくなりますが、
今度は「自分の中から出てきたものならば、自分は何と罪にまみれた存在なのだろうか?」と
自分を責めてしまう方向に向かいがち。

自分を責めるのは意外と簡単です。
他人を責めることよりも、イメージ的に良いものだからです。

特にスピ系の人たちは、この傾向が強い気がします。
優しいと思われている人が、
実は自分のことを責め続けている人だった、なんてことも多いでしょう。
自分のことを責めないことは、傲慢なことではありません。

しかし、奇跡講座/コースでは、
両方とも同じことをしているにすぎない、と説きます。
外側を責めるのも、内側を責めるのも同じ、と。

すべては自分の罪悪感の投影であると分かった後は、
「あっ、そうなんだ」と気づくたびに、
聖霊にお願いして引き渡すことにした方が良いと思います。
自分の中で持っていると、やはり自分を責める種になるからです。

そしてあなたは自分自身を責めながら、彼らを責めずにいることはできない。
だからこそ、非難は別のどこかに転嫁せずに、取り消されなければならないのである。
非難を自分に向けるなら、あなたは自分自身を知ることができない。
というのも、つまるところ、自我だけが非難するものだからである。
したがって、自己非難は自我と同一化することであり、他人を非難することと同じく、自我による防衛である。
奇跡講座 テキスト編T-11.IV.5より

本当にいつも、奇跡講座/コースは「ばっさり」だなぁ、と思います。
あいまいさのかけらもなく、
反論の余地もない(笑)

ほぼ毎日、こうして奇跡講座 テキスト編を読みながらブログを書いていますが、
実は「今日はネタがまったくない」という日も多くあります。
しかし聖霊が書くように言ったのだから、聖霊が何とかしてくれるでしょ?と
彼らに責任を押し付けるようにしています(笑)

すると、まったく何もネタがないと思われていた日も、
文面が勝手に出てくるので、助かっています。
そういう助力がないと、こんな面倒なことは私にはムリです。
続けられません。

いつも聖霊には感謝しています。
私たちを助けることが彼らの喜びであるとは聞いていますが、
本当にそうだったらいいのになぁ、と思います。

今日も多くの人たちが聖霊と共に一日を過ごすことができますように。
私たちが小さな閃光を大切に見守ることができますように。

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