奇跡講座のテキスト。第11章Ⅲ闇から光へ

むこうがわ

今日は「奇跡講座 テキスト編」より11-3闇から光へ

今朝、感じたことがあります。
それは「以前よりもテキスト編が読みやすくなった」ということ。

もちろん、私の手に取る日本語翻訳が年を重ねるごとにこなれてきて、
最終的に公式版として出版されたものが、とても読みやすい日本語であることも理由の一つ。

そしてもう一つの理由が、こうしてブログを書くことによって、
継続して少しずつ読むことができ、読むことに対する構えがなくなったこと。

以前は、テキスト編を読むのは休日。
しかも、他に何もやることがない日にしか読めず、
読む日は2章分くらいをまとめ読みしていました。

読んでも良く分からない場所は華麗にスルーし、
目で追っただけの章もあったことと思います。

今は毎日少しずつ読んでいるので、分からない場所は何度か読み返し、
心に入ってこなかった部分(読みながらも他のことを考えられるって困り物ですね!)は、
もう一度集中して読んでみる。
そういうちょっとしたことができるようになりました。

毎日のことだし、寝ぼけている状態で読むので、
そんなに気合も入りません(笑)
だから(?)読むときに肩の力が抜けているなぁ~と思えるようになりました。
「これは難しい本だから、頑張って理解しないとっ!」というプレッシャーもありません。

今でもすべての意味が分かるわけではありませんが、
なんとなく、感覚としてつかんで先に進んでも、
理解できない自分を責めずに気楽に読んでいます。

というのも、これが最後の通読ではないから。
これからも折に触れて、何度も読み返す本であるから。

完全に毎日ではないですし、休日にお休みしたり、
平日も眠気に負けて睡眠時間にあててしまってお休み、なんてこともありますが、
それでもベースとして「続けている」があれば、なんとかなるもんだなぁと思えます。
私のような「三日坊主」系の人には「なんとなく毎日ゆる継続」をオススメします。

闇の慰め手たちにだまされてはならない。
そして、彼らを決して神の子の心の中に入らせてはならない。
神の神殿の中に彼らの居場所はない。
あなたが神を拒否したくなるとき、神の他に、神とすべき他の神々はもとより存在していないということを思い出し、あなたのための神の意志を、平安の中で受け入れなさい。
平安の中以外で、それを受け入れることはできないからである。
奇跡講座 テキスト編T-11.III.6より

闇側も光側と同様、魅力的なプランを持ちかけてくる。
自然とその術中にはまってしまうこともある。
それに気づくのは、自分が不安や恐れの中に居ると分かったとき。

そういう時には、即座に神の実在を思い出し、この世界を消し去ることが必要。
同時に神の愛を、平安を受け取る。

この繰り返し作業を行うしかないし、
この作業しか求められていない。
シンプルだけど、この世界を大切にしようとする人には求められていないし、
普通の生活の中で継続して行っていける人はほんの限られた人なのだろう。

そして何が自分に属するのかを知るためには、あなたの心は神の心と同じように清くなれればならない。
神の神殿を油断なく警護しなさい。
神ご自身が神の神殿の中に住み、平安の中にとどまっている。
闇の仲間と共に神の臨在の中に入ることはできないが、あなたひとりで入ることもできない。
兄弟たち全員が、あなたと共に入らなければならない。
あなたが彼らを受け入れるまでは、あなた自身が入ることができないからである。
奇跡講座 テキスト編T-11.III.7より

ポイントは「どんなことにもあてはめる」ということ。
決して例外はない。
あの人は受け入れられるけど、この人のことは別!なんてことは100%ない。
一部を受け入れないことは、兄弟全体を受け入れないことと同様の行為だ。

・・・と思っても、即座に受け入れることが難しい時もあって。
そんな時は時差があっても平気。
時間がかかっても受け入れられればいいのだから。
きっとだんだんと困難な人に対しても受け入れられるまでの時間が短くなる。

今日も私たちが全体を受け入れる努力を怠ることがありませんように。
道をそれたときは、聖霊がそっと注意してくださいますように。
すべての兄弟たちと平安と愛を分かち合うことができますように。

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