奇跡講座のテキスト。第10章Ⅳ病気の終わり

ドライフラワー

今日は「奇跡講座 テキスト編」より10-4病気の終わり

更新する気が起こらず平日2日間はおやすみ。
昨日は聖霊に従って、以前は赦すことのできなかったことを赦す日に当てました。

また今日からゆるめに再開します。
私は人と比べることが得意な自我を、依然持ち続けているので、
こういう時に聖霊だけが伴走者であることは助かっています。

もし、友達や知り合いと共に進めていたら、
この時点で私は遅れを取り戻すために焦りをつのらせるか、
もしくは続ける意欲をなくしてしまう恐れがあるからです。

このまま続けていくと、本当の意味で周りに影響されなくなり、
誰かと一緒でも、そうでなくても続けられるようになるのでしょう。
それもまた聖霊がタイミングを見計らい、機会を用意してくれるでしょう。

あなたが自分で作り出したものはあなた自身にはまったくふさわしくないものであるため、それをありのままに見てみようとする意欲があったなら、あなたがそれを望むことはあり得ない。
そして、ありのままに見れば、そこにはまったく何も見えないだろう。
あなたの心像は自動的にその向こうに目を向け、あなたの中および周囲にあるものを見る。
奇跡講座 テキスト編T-10.IV.5より

今はどうしても知覚に頼ってしまうし、
知覚を信じてしまう。
学びを通して、それが真実を映すものではないと知り、
知覚の向こうに在るものを見ようとする意欲を持ち続ける。
今できるのは、そこまでのような気がします。

多くの者たちの中では、大いなる光線は覆い隠されているので、閃光しか残っていない。
だが、神は、光線がすっかり忘れ去られることがないように、閃光を生かし続けてきた。
その小さな閃光を見さえすれば、あなたはより大きな光について学ぶことになる。
その光線は目に見えなくてもそこにあるからである。
奇跡講座 テキスト編T-10.IV.8より

小さな光しか、最初は見ることができないだろう。
しかも見ようと思わないと見えないから、時々しか見えないかもしれない。
だけど、どんな人の中にも光は存在している。

昨日、展覧会に行きました。
混んでいたため、絵が見たいと思うと、マナーの良くない人の行動が目につきました。
もちろん、そのマナーとは、私が信念として持っているにすぎない意味のないものです。

しかし、昨日は聖霊や神のことを会場内で思い出すことができず、
赦しの機会ととらえることができませんでした。
あんなにも機会はあったのに!
残念・・・

昨日は別の人に対する赦しはクリアできたから、
満点ではないけれども、そういう自分も赦そうと思います。
できれば、赦しの機会は最大限に活用したいですね!

今日も赦しを聖霊と共に行なっていきましょう。

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