奇跡講座のテキスト。第9章Ⅴ癒されていない治癒者

稲穂

今日は「奇跡講座 テキスト編」より9-5癒されていない治癒者

自我による赦しの計画は、神によるそれよりもはるかに広範に用いられている。
なぜならば、それが癒されていない治癒者(ヒーラー)たちによって担われているからであり、したがって、それは自我に由来するものだからである。
癒されていない治癒者について、ここでもう少しよく考えてみよう。
癒されていない治癒者は、その言葉の定義から言っても、自分が受け取っていないものを与えようとしている。
奇跡講座 テキスト編T-9.V.1より

このセクションから始まる一連の下りから次の章にかけて、
私は通読の中でも読んでいるし、部分的に取り出して繰り返し読んでいるはずですが、
今回も読んでみたら、今まで触れたことのない部分が出てくるようで不思議です。
無意識の部分まで含めて、
理解したくないと思っているときには、何度読んでもムリなんでしょうね。

奇跡講座/コースでは、様々なことがきっぱりしていて、
何事も二つの面しかなく、真実か幻想か、です。
癒されていないか、癒されているか、です。

私はその見方で言うと「癒されていない」に当てはまると思います。
だから、毎日学びが用意されているし、この世界に留まっている。

と、考えると、
私は今後はヒーラーとして活動するのではなく、
私はあなたを癒せますよ、という看板をかかげるのではなく、
癒されていない学習者として、学びを促進させる補助剤的な存在になるのが
ベストな答えなのかもしれません。

いずれにせよ、今、一時的におやすみしているのは、
私にとっては、とてもよい見直し期間となりそうです。
後から振り返っても、ターニングポイントのような時期にあたるかもしれません。

今まで、私は、ヒーラー自身が全的に癒されていなくても、
この世界はうまくいったりいかなかったりもするし、
癒されている部分というものから、癒しが発信できるものだと思っていました。

が、よく考えると、
「部分的に癒されている」というのは、自我の考え。
奇跡講座/コースは、癒されているか、癒されていないか、それだけです。
勝手に解釈したい、という自我から「部分的に癒されている」という状態を
特別扱いとして「だからいいんです」と作り出しているだけです。

残念だけど、スッキリしました。
私は癒されていない。

治癒者が提供できる唯一の有意義な貢献は、自分のために方向を変えてもらい、もはやいかなる種類の悪夢も信じていない者となった自分を、実例として提示することだけである。
その結果、治癒者の心の中にある光が、質問者に答えることになる。
そして質問者は、自分に光が見えるからこそ光は存在するということを、神と共に必ず決断することになる。
そして質問者による承認によって、治癒者は光がそこにあると知る。
奇跡講座 テキスト編T-9.V.7より

聖霊はこの世界にあるもの、私たちが現実に存在すると思っているものを使って、
どんどん私たちの学びを促進してくれます。
その計画については、私たちは「今」しか見えないために、
「これやることに何の意味があるの?」と思うこともしばしば。

だけど、その自然に美しく流れるつながりが見えたときに、ハッと、
「あ、聖霊はこういう流れになることが分かっていたから、これを使ったんだ」
と気づかされることがあります。

そういう聖霊のあたたかな神にも通じる気遣いが、
私たちにチラリと垣間見れる瞬間が多くありますように。
そうすることによって、私たちが聖霊との絶対的な絆を感じられますように。
今日も聖霊と共に一日を過ごしましょう。

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