奇跡講座のテキスト。第9章Ⅳ聖霊による赦しの計画

きばなコスモス

今日は「奇跡講座 テキスト編」より9-4聖霊による赦しの計画

赦すことは見過ごすことである。
それならば、誤りを超えたところを見なさい。
そしてあなたの知覚を誤りの上にとどめてはならない。
あなたは自分の知覚が捉えているものを信じるからである。
奇跡講座 テキスト編T-9.IV.1より

自我の計画は、まずあなたに誤りをはっきりと見せてから、その誤りを見過ごさせるというものである。
だが、自分で実在すると思い込んだものをどうやって見過ごすことができるだろうか。
それをはっきりと見ることによって、あなたがそれを実在のものとしたので、それを見過ごすことはあなたにはできない。
奇跡講座 テキスト編T-9.IV.4より

昨日のセクションを読むまで、
私たちが赦す部分まで行なうのかと思っていました。
が、実際の赦しは聖霊が行なってくれるので、私たちはその手前まで行ない、
聖霊に赦しを行なってくれるように引き渡すものだとわかりました。

実際に引き渡すまでに、どのようにすればよいのか。
それが上記引用の部分に当たります。

が、難しいです!
どうしてもこの世界で起こる出来事が、
本当に存在しているかのように感じてしまうし、とらえてしまう。

そこに自分の心を挟み込み、グッと現実っぽく感じる手前で引き渡してしまう。
それが実在すると思い込まないこと。
執着しない、ということなのかもしれません。

聖霊を通しての赦しは、単に、最初から誤りを超えたところを見ることにより、誤りをあなたにとって実在しないままにしておくことにある。
それが実在するという信念を、心の中に入り込ませてはならない。
奇跡講座 テキスト編T-9.IV.5より

この「心の中に入り込ませない」ために、聖霊の力を借りるのです。
どうしても現実と思えて仕方がない、
この世界が幻想ではなく、自分にとっての実相だと思えて仕方がない。

そういう時に聖霊に「別の見方ができますように」とお願いし、
この誤りを超えたところを見れるように導いてもらうのです。

最初から、自分の力で誤りを超えたところを見ようとしても難しい。
それは当然のこと。
だかこそ、聖霊がそこに存在するのです。

自分の力でできなくても、その向こうにある真実は変化しません。
依然とそこに在り続け、私たちを見つめ続けます。
どんな道を歩んでいても同様に。

そしてこの、真実を見つめる、真実がそこに在ることを思い出すことは、
大きな転換が必要で、自我の沼地に囚われている私たちを、
少しずつ救い出してくれる存在が必要となります。

奇跡講座/コースを読んだだけで、
この自我の沼地からすっきり抜け出せるものではありません。

だからこそ、聖霊は私たち一人一人、すべての人に対して存在します。
そして、それぞれの歩みのペースに合わせて学びを用意してくれます。
私たちはそれにしたがって、実践を積み重ねていくだけです。

奇跡講座/コースは宗教ではありません。
愛のみから成る神という存在は、
宗教問わず、あらゆる人の心の中にあることでしょう。
その神と、私たちを結びつける聖霊が居るというだけです。

今日も聖霊とともに、誤りをみつめず、
その向こうを見ることができるよう、努めて一日を過ごしましょう。

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