奇跡講座のテキスト。第9章Ⅲ誤りの訂正

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今日は「奇跡講座 テキスト編」より9-3誤りの訂正

今日のセクションは短めで、
しかも、自分に当てはまることが多いから理解しやすい文章でした。

自我にとっては、誤りを指摘して「訂正する」ことは親切なことであり、正しく、良いことである。
誤りとは何か、訂正とは何かを自覚していない自我には、これは完璧に意味をなす。
誤りは自我に属するものであり、誤りの訂正は自我を放棄することにある。
兄弟を正そうとするとき、あなたは彼が間違っていると告げている。
その時点で彼は意味の通らないことを言っているかもしれない。
そして、彼が自我から語っているのであれば、彼が意味をなさないことは確実である。
しかし、それでもあなたの任務は、彼は正しいと彼に告げることである。
奇跡講座 テキスト編T-9.III.2より

この部分にかなり衝撃を受けました。
うすうす気が付いてはいたものの、直視せずにきたことかもしれません。
まさに私は「訂正してあげることは、親切なこと」と思っていたからです。

奇跡講座/コースを学びながら、
ありのままを受け入れること、隠れている真実の姿を見ることを心がけてきました。
が、時々、古い習慣が戻ってきます。
その時、私は主観的に見て誤っていると思い、相手を正そうとしてしまいます。

しかし「彼が自我から語っているのであれば、彼が意味をなさないことは確実」だと分かって、
見過ごしたうえで、彼はやはり神の子であり、
私が訂正すべきことはどこにもない、とその人の中の聖霊を見ることが大切。

兄弟の自我の誤りを指摘するなら、あなたは自分の自我を通して見ているに違いない。
奇跡講座 テキスト編T-9.III.3より

この部分を読んだ時には、ため息しかでませんでした(笑)
もちろんこの「誤りを指摘する」とは「この部分、字が間違ってるよ!」という表面上のレベルのものではありません。
その裏にある自分の心の部分がどうなっているかを分かることが重要です。

うまく説明できないかもしれませんが、
間違いを正すことが悪いこと、とは言っていません。
間違いを正すときに、その裏に自分のどんな気持ちが潜んでいるかが重要だと思うのです。

「字が間違ってるよ!」
その単純な言葉の裏に、私が攻撃を持っているか、愛を持っているか
ということを自分で見抜く力が必要となります。

会社で良く起こることなので、
今、じっくり「じゃあどうすればいいの?」と考えてみました。

私は今まで、攻撃の心でこういうシーンには対応していました。
「まったくこの人、いつも字間違えるの、何度言ったらわかるんだろう?」と。
字で並べると、普通の言葉の並びに見えますが、本当はもっとドス黒いカンジ。

今改めて「愛の心での対応」を考えてみると、
「この人は字を間違うことで、誤っているように見えるけど、
その間違いで私の気を引くことによって、
自分の真の正しさを、聖霊の部分を見てもらいたいだけなのだな。」
と、考え、その上で「字が間違ってるよ!」と言葉をかけるのが正しいのでしょうね。

今までそんなやり方、やってきませんでした。
不死というあなたの現実で、ゲイリー氏がアセンディッドマスターたちから「間違ってることは間違っていると言ってもいい」と教えられていました。
ずっと、それってどういうことなの?と疑問に思っていた点です。
そして、その本の中にも、私が上に書いた部分と似たようなことが書いてあったのだと思います。
ただ、私はそれを消化できず、良くわからないと思い込んでいました。

書かれていても分からなかったのは、私がそれを受け入れ、実践できる状態になかったから。
そして、今、ようやく(ものすごく長い、バカみたいに長い時間がかかりましたが)、
自分のための回答として、受け取り、受け入れ、実践できる状態になったようです。
これが正に、昨日、聖霊はすべてに答えているとあったことの意味だと思います。

長い期間、「愛からの言葉ってなんだ?」と思ってきました。
少しずつ、自分の心の曇りが取れてきたのかもしれません。
愛のない人はいませんが、以前の私は、愛を見ないように隠していた状態でした。
こうして振り返ると、ただ愛は私の中にいつの時も存在していた、という事実を「思い出した」にすぎません。

あなたに任されているのは、兄弟を変えることではなく、彼をただありのままに受け入れることである。
彼の誤りは彼の中にある真理からは生じてはいない。
奇跡講座 テキスト編T-9.III.6より

こういう大切で基本的なことに気づかされるたびに、
「バカバカバカバカ、私ったら、今まで何を読んで、何をしてきたのよ!」と思うのですが、
残念ながら、バカは少しずつしか治らないようです。
しかも、自分がバカだから、訓練し続けるという意欲を持たない限りは。

賢く、強く、美しく、愛のある人になりたい。
それは、私たちすべての人の中に隠されている宝物を磨き上げる旅です。
今日も聖霊と共に真理がすべてであることを忘れずに生活できますように。

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