奇跡講座のテキスト。第9章Ⅱ祈りに対する答え

ほととぎす

今日は「奇跡講座 テキスト編」より9-2祈りに対する答え

聖霊は、すべての祈りには答えが与えられると強調している。
これは確かに真実である。
聖霊に何かを頼んだというその事実があるだけで、応答は保証されている。
だが、聖霊から与えられる応答は決して恐れを増大させるものではないということも、同様に確かである。
奇跡講座 テキスト編T-9.II.3より

この部分は少し前の部分の補足説明になっています。

それならば、あなたが聖霊に求めていることは、自分が真に望んではいるが、まだ恐れていることでもある、と仮定してみよう。
このような場合、その達成はもはやあなたが望むことではなくなっている。
奇跡講座 テキスト編T-9.II.2より

私たちが正しい心から望んだとしても、
それに対する答えを受け取る準備ができていない時、
私たちは回答を受け取ることはできないようです。

聖霊の答えが聞かれないということはあり得る。
しかし、それが失われることはありえない。
あなたがすでに受け取っていながらまだ聞いていない答えが、たくさんある。
それらの答えがあなたを待っているということを、私は保証する。
奇跡講座 テキスト編T-9.II.3より

答えは保存されているのならば、
私たちの準備が整った時に、改めて受け取ることになるのでしょうか。
多くの祈りをしてきた私ならば、どれだけ回答がたまっているのでしょう(汗)
回答たちが列をなしている姿や、倉庫にぎゅうぎゅうに詰め込まれている姿を想像してしまいます。

反対から言うならば、今受け取っている回答は、
私たちの準備が整っているから聖霊から与えられているものです。
私たちが受け取っても恐れを感じないと保証されているもの。

昨日、家族にお願いしなくてはならないことがありました。
それは、とあるお家にお届け物をし、関係を少し改善すること。
家族は、できれば寄りつかず、この件については波風を立てたくないと思っています。

家族にお願いする重苦しさを考えると、
お願いできる、お願いする ←→ お願いしない、なんとか行かない方法を考える
この二つの間を行ったりきたり。

一人でもやもやしていると、昨日までなんともなかった胃がざわざわしはじめました。
一日もやもやして、夜になってからようやく家族に話す機会ができ、
言い出してみると、家族は「じゃあ品物を渡すだけ、一人で行ってくるよ」と。

その瞬間、私は面倒なことから解放されたと思いました。
しかし、聖霊の言っていたことは、それでは果たされません。
軽くでもいいからお話をしてくる、ところまで聖霊からは言われています。

そこからまた私の心は葛藤を始めました。
聖霊の言っていることは正しい。
そして、この世界もないし、恐れることは何もない。
何度も何度も考えるのですが、どうしても「やっぱり一緒に行って、少しお話してこよう」と言えず。

結局、就寝の時間までもぞもぞ・・・
最後の最後にやっと「やっぱり私も一緒に行くから、お茶させてもらおうよ。」と話すことができました。
家族も了承してくれ、スケジュールに組み込むことにしました。

こういうことに出会うたび、どうしてこんなにも聖霊の言っている通りにできないのだろう?と思います。
そこには恐れがあります。

それは分かっています。
分かっているし、そんなものは本当は存在しない、
と、何度も心に話しかけても、やっぱりイヤなのです。

でも、今日のセクションであるように、
聖霊が今、私に託しているものは、私が受け取れないものではない。
私の側も準備が整っているから、彼らはそれを差し出している。

それでも、私はそれを受け取ることを拒否することもできます。
先送りする、ということです。
結局は、次にまた、同じ課題に取り組むことになるのですが、
一時的に保留状態にしておく、ということになります。

この一生で悟りに近いところまで進むと決心していながら、
こんな小さな所で毎日つまづきそうになる私です(汗)

しかし、聖霊はそんな私を見捨てず、
今日も「会社行きたくなーい、もっと寝たーい!」などと言う私と共にこの場にいてくれます。
ほんと、こんな私ですまんのう、と声をかけたくなるのですが、
そんな声をかけるなら、もぞもぞせずに実践に取り組むように!と言われそうです(笑)

今日も聖霊と共に、私たち自身のレッスンを進めていきましょう。
小さなことを乗り越えられなければ、大きなことも乗り越えられません。
焦らず、こつこつと、地道に赦しのレッスンです。

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