奇跡講座のテキスト。第9章Ⅰ実相の受容

落ち葉

今日は「奇跡講座 テキスト編」より9-1実相の受容

ようやく第9章。
これで大ざっぱに1/4が終わりました。
1/3かと思って喜んでいましたが、やはりまだ先は長いです(汗)

でも、奇跡講座/コースは一生をかけて取り組むもの。
そういう目で見ると、長さなんて関係ないですね。
一生のうちに何回、通しで読むことになるのでしょうか。

だとすれば、あなたは明らかに、自分がまったく自覚していないものを裁いていることになる。
あなたはこのような奇妙な状況を作り上げてしまっているため、何があなたの実相であるかを確かに知っている導き手がいないければ、そこから抜け出すことは不可能である。
この導き手の目的は、あなた自身が何かを望んでいるかをあなたに思い出させることにすぎない。
聖霊は、あなた自身にとって異質な意志を、あなたに押しつけようとしているのではない。
単に、あなたが聖霊に課す制限の範囲内で、あなた自身の意志をあなたに再びしっかりと自覚させるために、あらゆる努力をしているだけである。
奇跡講座 テキスト編T-9.I.3より

この部分を読んで、改めて聖霊に感謝する気持ちが湧いてきました。

私は、過去の私を顧みることができます。
以前の私がどんな人間だったかを知っています。
見た目や雰囲気は穏やかそうな人だったとしても、内面はとんでもない状況でした。

今でも自分の心の動きにあきれることもしばしば。
例えば、通勤電車内での心の動き(笑)

そういう部分をまったく無視し、見過ごして、
自分が優れた人間だと思っていたこともあります。
今、考えると、恥ずかしくて、当時の自分を表舞台から隠したい気分。

そんな場所から救い出してくれたのは、聖霊という導き手以外にはありません。
自力で脱出することもできたかもしれませんが、聖霊の数倍、時間がかかっていたことでしょう。
私の心はまったく無自覚で、野放し状態でした。

シュタイナーのいかにして超感覚的世界の認識を獲得するかを読んで、
自分の意識をつかまえる実践をしてみても、
数日であきらめ、「ムリムリ、こんなの素質がないからできないよ~普通の人はムリ!」と思ってみたり。

そこを根気良く、こつこつと、正しい方向に導いてくれたのは聖霊です。
すぐに楽な方向に、今まで歩いてきた道に流れがちな私を、
(今も別のサイト見てしまい、「はっ!ブログ書いてたんだった!」と戻ってきました)
私が投げ出さない程度にゆっくりと真理を教え続けてくれています。

私が聖霊と一体になれるまで、聖霊は存在しつづけてくれます。
神からの贈り物であることは間違いありません。

あなたは聖霊が答えてくれないと主張するかもしれないが、あなた自身がどのような質問者なのかをよく考えてみるほうが賢明だろう。
あなたは自分が望むものだけを求めてはいない。
この理由は、それを受け取ってしまうことをあなたが恐れているからである。
奇跡講座 テキスト編T-9.I.7より

この後の文章で、私たちが「自分が何を望んでいるのかわかっていない」という部分があります。
自分のことは自分が一番良く知ってる!と考えています。
ですが、自分の心の一番深い部分が望んでいることについては、
混乱しており、分かっていないとしたらどうでしょう?

ここに書かれている通り、正反対のものを聖霊にお願いしてしまうかもしれません。
その場合はもちろん、聖霊は与えてくれません。
彼らは、私たちの意志が本当に望んでいるものだけを与えようとするからです。

究極的には、誰もが神の意志を必ず思い出す。
なぜなら、究極的には誰もが必ず自分自身を認識するからである。
この認識は、自分の意志と神の意志がひとつであることの認識である。
奇跡講座 テキスト編T-9.I.9より

私たち奇跡講座/コースを学んでいるものたちは、
自分の周囲に存在する兄弟たちを真理への道へと導くことになりますが、
その時に、聖霊から必要だと言われなければ、この道について語る必要はありません。
ただ私たちが実践しつづければ良いだけ。

究極的には、必ず、すべての人が神の元へ戻れるからです。
人にはそれぞれのペースがあり、
その部分も含めて聖霊が絶えず一人一人をサポートしてくれています。

あなたは、自分が真理を否定することで浪費している膨大なエネルギーを認識していない。
不可能なことをあくまでやり続け、それを達成することが成功だと信じている者について、あなたは何と言うだろうか。
不可能な何かを手に入れなければ幸せになれないという信念は、創造の原理とはまったく矛盾する。
あなたが決して手にいれることのできないものに幸せが依存するなどということを、神が意志するはずがない。
奇跡講座 テキスト編T-9.I.11より

この部分が本当のことならば(本当なのでしょうけど!)、
私たちは真理に近づけば近づくほど、エネルギーが満ち溢れることになります。
自分の本来持っているものを取り戻す、ということですが。

決して手にいれることのできないものに幸せが依存するなどということを、神が意志するはずがない。
そうだよな、と、腑に落ちる記述です。
神は愛であるなら、私たちが苦しむことを、幸せでないことを望まれるわけがない。

バレエの先生が、以前、私に話してくれたことがあります。
子どもの頃からバレエを学べなかったことを残念に思うことはありません、
大人になったあなたたちは、直感的ではなく、動きを分析し知識としてそれを学ぶことができるからです。

確かに子どもの頃から習っている人は上手い。
でも、妙なクセがついていることも少なくありません。
大人になってから学べば、最短経路を正しいフォームで学ぶことができるのです。

私たちが大人である恩恵は、
理解することから無意識の根底にある動かしがたい部分を、
少しずつ溶かしていくことができることです。

この世界を見てみろよ、いつだって残虐な出来事が転がってる。
こんな世界を、愛である存在の神が作ったと思うか?
答えはNO以外にはない。
この世界は神によって作られたのではない。

ゲイリー氏の本でも何回も似たようなことが述べられていましたが、
スグに探し出すことができないので、私の言葉で記述しました。

今日も真理を見つめつづける勇気を私たちにお与えください。
聖霊とともに秋の一日を楽しむことができますように。

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