奇跡講座のテキスト。第8章Ⅶコミュニケーションの手段としての肉体

雲日和。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より8-7コミュニケーションの手段としての肉体

今日のセクションが長くて、いつも通りに時間を取って読んでいたら終わらなくて、
瞑想時間をすべて読書に費やしてしまいました。

セクション分けなどは確か、ヘレンさんとワプニックさんがされたのではなかったでしょうか?
そうだとしたら、大変な作業だったと思いますし、
(もちろん記述も大変だったことは分かっていますが!)
私たち学習者のために大いに役立っていると言えます。

これがセクションがなく、章立てだけの本だとしたら、私は読んでいるうちに、
自分が迷宮入りして、ついには眠りの世界にたどり着くことになるでしょう!
だから、セクションの文章が長くても、セクションのタイトルが上手く理解できなくても、
大した問題ではないなぁ~と思って読み進めています。

奇跡講座/コースはテキスト編も、ワークブック編も、意欲がないと読み進めることができません。
それを毎日、となると、
やはりそれのために毎日時間枠を用意して、習慣にしてしまうのが一番良いと思います。

私は寝る前に時間を取る、ということが睡魔に負けてしまいできないので、
毎朝、テキスト編を読むために、その分だけ早く起きる、ということを実践しています。
毎日30分程度だと思います。
主に読んで理解することに当てますが、早く終わった場合には5分でも10分でも瞑想をします。
が、瞑想中に寝てしまうことは多くあり、瞑想とは名ばかりの時間となっています(汗)

あなたが肉体を攻撃に用いるなら、肉体はあなたにとって有害となる。
もしあなたが、自分を肉体だと信じている人々の心に到達するためだけに肉体を用い、彼らが肉体ではないということを肉体を通して教えるなら、あなたは自分の中にある心の力を理解するだろう。
奇跡講座 テキスト編T-8.VII.3より

この部分を読んでいる時に、電車が駅に停車し、人が乗り込んできました。
つり革につかまっている私の右側と左側に人が入ってきました。
つり革の位置によって、私が中途半端な位置にいたのでしょうけど、
二人ともぎゅっと割って入ってくるような形になりました。

その時に、私の心は一瞬、足を自分の中心に引き寄せるか、
それともガンとしてその場に足を置き、重心の位置を変えないか、で迷いました。
もちろん最初は「動いてたまるものか!」と攻撃的に思ったのです。

が、ちょうど、読んでいる部分があまりにもヒットしていました。
「こんな高尚な考え方の本を読みながら、実際には足を1cmも動かさないってバカだよなぁ~」
と思い、両隣と、前に座っている人を祝福し、赦し、足と重心を動かし、
少しばかり私がきゅうくつに感じても、二人があまり不快に感じない位置に移動させました。

そんなちっぽけなこと!と思われるかもしれませんが、意外にこういうことはよくあります。
スピリチュアルな教えを受けて「よし、私は愛の存在になるんだっ!」と思って、
会社や友達ではニコニコしていても、一番身近な家族に対しては愛を与えることができなかったり。

何か大きなトラブルが起こった場合に、平穏な心で対応できるようにするためには、
日頃の小さなトラブルで、同じように心が平穏でなければ実践することは不可能です。
・・・という考え方に私は支えられて、小さなことでも大きなことでも同じように対応しています。

こんなちっぽけなことを、どのくらい積み重ねれば、神の国に帰れるのか?
と、時々不安に思ったりもします。
今生では無理なのかも、と思ったりすると、途端に投げ出したくもなります。
(次の一生にお任せしちゃおっかな~なんて考えます(笑))

しかし、私たちが実践できるのは、今、自分がめぐり合う出来事に対して、だけ。
すべきことは、他には何もありません。

私たちが兄弟を肉体とみなさず、神聖であり、神の一部であると見ることができますように。
それを聖霊が助けてくれますように。
私たちが知覚に頼らず、聖霊に頼ることができますように。

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