奇跡講座のテキスト。第8章Ⅵ神の宝

窓

今日は「奇跡講座 テキスト編」より8-6神の宝

私たちは共に出発することにより帰郷の旅を始め、共に進みながら兄弟たちを仲間に加えていく。
私たちの強さが増すたびに、それがすべての者たちに差し出され、それによって彼らもまた自分の弱さを捨て去り、彼らの強さを私たちに加えることができるようになる。
神の歓迎が私たちを待っている。
私があなたを歓迎しているのと同じように、神は私たちを歓迎するだろう。
この世界が差し出すいかなるものによっても、神の国を忘れてはならない。
奇跡講座 テキスト編T-8.VI.1より

先日、ツイッターアカウントの「ACIM 神の使者.bot @acimkamishisya」について話しました。
なんて恵まれた時に生まれることができたんだろう?!と日々思いを募らせます。

奇跡講座/コースは1976年に発行された本で、
今の私たちは神の使者の翻訳版と同時に奇跡講座/コースの翻訳版も読むことができます。
両方がないと、私には奇跡講座/コースは難解で意味を取り違えていたと思います。

今日のセクションでも「この世界が差し出すいかなるものによっても」とありますが、ゲイリー氏による本がなければ、きっちりと本来の意味どおりに受け止めることができなかっただろうな、と。

それは本当に完全にきっぱりと、この世界と別れることを目指しています。
適当にこっちの世界にもなんとなく足を置きながら、ではありませんし、
ましてや、こっちの世界を良くしつつ、天国に行く、なんてものでもありません。
きっぱりと「世界はない」と断言するものです。

自我が普通に心を占拠している私は、
うっかりすると、この世界の考え方にハマったり、この世界があるようにふるまいます。
そういう時に「ACIM 神の使者.bot @acimkamishisya」を見たり、
スマホで今日のセクションを読むと、ハッと真実側に引き戻されます。

神の使者に書かれていたのですが、奇跡講座/コースは当分、スピリチュアルな考え方の主流にはならないそうです。
それは、これから数世紀もの間に渡るそう。
となれば、奇跡講座/コースはあまり人に実践されることなく、スピ本の古書として存在し続けるのでしょうか。
神の使者にいたっては、その間に入手不可能になるかもしれないなぁ、とも感じます。
(その時には別の良ガイド書が出るのかもしれませんが)

以前は、自分がマジメな性格であることを残念に思っていました。
もっと楽しくて、周りにいる人が明るくなれるような性格だと良かったのに!と。
そういう風にふるまってみたこともありますが、
素の自分ではない、飾りをとってつけたようなカンジがしてやめました。

でも、イエスはどうだっただろう?と考えると、
私の目標が神の国へ帰ることであるならば、この性格でいいや、と思い始めました。
イエスは暗い人ではなかったでしょう。
彼の近くに居ると穏やかな気持ちにはなるでしょうけど、高揚感みたいなものは感じなかったのではないかと思います。

私は周りを盛りあげるわけでも、喋りが上手いわけでもなく、
どちらかというと聞き役ですし、聞いても、その場で的確にアドバイスできるわけでもありません。

それでも、神の国を目指すことだけが目的ならば、何の支障もありません。
どんな性格の人でも、もちろん私同様、何の支障もありません。
自分の性格がこの世界に向いているか、などは全く関係がありません。

かえって、ちょっとこの世界に不向きだからこそ、
この道を探し出せたのかもしれませんし、
真偽についての、この世界の議論に耳を傾けることなく、一心に進めるのかもしれません。

今日も自分の道をしっかりと真実の方向に進めていきましょう。
聖霊が傍らにいて、私たちを支え、励ましてくださいますように。

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