奇跡講座のテキスト。第8章Ⅲ神聖な出会い

オギ

今日は「奇跡講座 テキスト編」より8-3神聖な出会い

誰に出会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい。
あなたは、彼を見る通りに自分自身を見る。
彼を扱うとおりに自分自身を扱う。
彼について考える通りに自分自身について考える。
このことを決して忘れてはならない。
なぜなら、彼の中で、あなたは自分を見失うことにも、自分を見出すことにもなるからである。
奇跡講座 テキスト編T-8.III.4より

「決して忘れてはならない」のに、よく忘れてしまうことです。
最近、良い本、良い考え方に出会う機会が多く、
奇跡講座/コースとはまったく別物ですが、
心の在り方について考える機会が増えました。

以前、電車の中で密着されるのがキライという話を書きました。
それは、とても些細なことで、気にならない人には笑われる話でしょうけど、
例えば、靴が触れ合う、それだけでも気になります。

少し前の私であれば、電車の中で誰かと靴が触れ合えば、
「どうして私の靴にあなたが触れてくるの?私の場所を侵略してこないで!」と、
極端に言えばそういう風にとらえていました。

そして、絶対に、自分の足はひっこめない。
あくまでも、ガンとして、その触れている足はその場にとどめ、
相手が足をひっこめるように促す(笑)

とても小さな争いなのですが、攻撃は攻撃。
大きくても小さくても、相手を攻撃していることには代わりない。

その時に、気持ちとして攻撃しなければ問題ではありません。
私が足を動かさなくても、相手に敵意を持たなければいいのです。
ですが、どうしてもできませんでした。

今、私は、こういう状態が起こった時に、
自分の足をひっこめたり、ずらしたりできるようになりました。
相手にその場所を譲り渡すことを、意識的に行っています。
もちろん、心も穏やかに。

小さな小さなことなのですが、自分の中では大きいこと。
私の心は、攻撃的になることも、穏やかでいることも選択できる。
これがようやく分かってきたような気がしています。

二人の神の子が出会うときはいつでも、両者に救済のための新たな機会が与えられる。
救済を相手に与え、自分も受け取ることをせずに、誰のもとからも立ち去ってはならない。
なぜなら、私はあなたを記念するために、常にあなたと共にそこに居るからである。
奇跡講座 テキスト編T-8.III.4より

昨日、同じ駅で降りる人が網棚から荷物を下ろす際に、何かがバシッと私の右肩を叩きました。
「イタッ!」と思わず声がもれ、次の瞬間、その相手をにらもうかと思いました。
が、「いかんいかん、乗せられては。」とそこでとどまることができました。
ゲイリー氏の本で、猛スピードで追い越して行った車に対して、中指をつきたてようかと思い、とどまったというエピソードがありますが、それと似た状況でした。

その後、その人は私を追い越していったのでしょうけど、
どの人かは特定できなかったので、彼を含む周りの人を祝福しました。

その夜、晩ごはんを食べて片づけをしている時に、ふとアイディアが浮かびました。
仕事上の、とても良いアイディアで、すぐにメールで他スタッフとシェアし、実行に移しました。
そのアイディアは、今日浮かんでも手遅れ、というギリギリのタイミングで浮かびました。

今までどうして思いつかなったのか不思議でもあり、
手遅れになる直前に浮かんだのも不思議に思っていると、
聖霊がそっと「ごほうびです」と。

この世界を変えるために聖霊が存在するのではありませんし、
私もこの世界は良くなることも悪くなることもあり、
奇跡講座/コースが求めるものは、この世界ではないことは分かっています。

が、みんなが喜べるアイディアはやはり嬉しいもの。
聖霊にお礼を言って、気持ちよく眠りにつくことができました。

今日も私たちが決して忘れてはならないことを忘れずに、
聖霊とともに赦しを行い続けることができますように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク