奇跡講座のテキスト。第7章Ⅵ警戒から平安へ

金木犀

強風で金木犀がたくさん散っています。
金木犀の香りに誘われる時期もそろそろ終わりを迎えそう。

今日は「奇跡講座 テキスト編」より7-6警戒から平安へ

今日のセクションは読むのにとても時間がかかりました。
読んでいると何度も眠くなったり、別のことを考え始めたり、集中力が続かないセクションでした。
セクションが長いのも関係あるかもしれませんが、自我にとって受け入れがたい部分なのかもしれません。

だからこそ、攻撃は決して個別的なものではなく、その全部が放棄されなければならないのである。
その全部が放棄されていなければ、それはまったく放棄されてはいない。
自我が生むのか聖霊が喚起するのかによって、恐れが作り出すか、愛が創造するかのいずれかとなるが、どちらも、それを思考する者の心に必ず戻ってきて、彼の全知覚に影響を与えることになる。
奇跡講座 テキスト編T-7.VI.1より

奇跡講座/コースはとにかく例外を設けることをしません。
最近、生活の中で関わる人が増えてきたことについて
「私はもっと小さなコミュニティの中で生活し、その中の一人を完全に愛することを目指したいのになぁ~」と考えてしまいます。
一人の人を、完全に、いつの時も、無条件の愛で迎えることができるのであれば、
他の人に対しても同じことができるという自信があるからです。

しかし、今そういう環境にないのは、
一人の人にしか会わない環境の方が、かなり大変なのかな?とも思います。
私が無理のないペースで赦しを通して、この幻想を取り消していくために、
今の環境はあるのかもしれない、とも。

攻撃をすべて放棄する。
心から意志として常に持ち続けなければ難しいことですが、
とにかくトライし続けることですね。

したがって、彼らはさまざまな形象を作り上げ、それらを価値なきものと知覚し、その無価値性を理由にそれらを攻撃する。
それが、自我の世界のすべてである。
つまり無である。
それには何の意味もない。
それは存在しない。
それを理解しようとしてはならない。
なぜなら、あなたがそうしようとするならば、それが理解可能なものであって、賞美され、愛されることが可能なものだと、あなたが信じていることになるからである。
奇跡講座 テキスト編T-7.VI.1より

教えには繰り返しがあってもいい、という不死というあなたの現実の中の言葉が思い出されます。
上記の内容は分かっています、理解しているつもりです。

しかし、行動が結びついていないのです。
この世界のあらゆるモノについ価値を置いてしまいます。
T-6.Vで、「C 神と神の国を守るためだけに警戒していなさい。」と口酸っぱく言われる理由が分かります。
神と神の国以外は重要ではないのに。

奇跡講座/コースを通して学び、実践していくと、
知識としての理解と、実践を通しての理解の両方が育っていきます。
どちらもお互いに補完しあい、なくてはならない存在です。

苦しい状況でもありますが、必ず楽になっていくそうです。
だんだん赦しが自然になり、即座にできるようになります。

今日は抵抗が激しく、書いていてもちっともまとまりがない気もしますが、こういう日もあります。
めげずに、地道な努力を、聖霊と共に続けていきましょう。

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