奇跡講座のテキスト。第7章Ⅲ神の国の実相

雨

今日は「奇跡講座 テキスト編」より7-3神の国の実相

ワークショップに何回か行ったことがあって、JMA・アソシエイツから小冊子THERAPYが届きました。
いつもは全く中身を見ないのですが、ゲリー・ボーネル氏のことが気になり、
中に書かれているエッセイを読みました。

アウン・サン・スーチー女史の言葉があります。
「私を殺してもらっても構わない。私を殺しても私は死なない。私を殺しても私を排除することはできない。それは、ただ私という幻想を殺すだけであって、私は生き続ける」
THERAPY Vol.109より

アウン・サン・スーチー女史がどのような状況にあるにせよ、
聖霊は私にこれを読ませたかったのだな、と理解しました。

日中はまったくなかった頭痛が、寝ている時に始まりました。
頭痛は最近あまり経験していませんし、昨日頭痛が起こるような行動も取っていません。
不定期に来る「ずきん」とした痛みの中でうとうと寝て、不機嫌ぽく今朝を迎えました。

なんとなく、心のどこかで、もやっと
「もしかして?」という原因は思い浮かびましたが、
「まさかぁ!」という気持ちもありました。
が、今日のセクションを読んで「やはりそうに違いない!」と気づきました。

だが、もし彼らが自分の兄弟の誰かを、自分と完全に対等ではないものとして知覚するなら、競うという考えが彼らの心に入り込んだことになる。
この考えに対して警戒する必要を過小評価してはならない。
なぜなら、あなたの葛藤のすべてはそこから生じるからである。
奇跡講座 テキスト編T-7.III.3より

今日は家族にとって、楽しみにしているイベント開催日。
何週間も前から準備をはじめ、ようやく今日が待ちにまった本番。
その前夜に原因不明の頭痛を起こすことによって、
「どうして私が持っていないものを、あなたが所有できるのか?」と
私は言いたかったみたいです。

対等な兄弟なのに、対等に見ることができず、赦せない。
自分が頭痛になることで、
「こんな状態の私を置いて、あなたは自分の楽しみを取るのか?」
と罪悪感を与えたい。
これに尽きるのではないか。

誰かに罪悪感を与えるために、自分の体を使って相手を攻撃する。
今までも何度も行なってきたことでしょうけど、
今回はハッキリした関係性に気づきました。

体は、奇跡講座/コースの中に書かれているように、
私の心が使役する対象として使えるもの。
私の心が「頭が痛くなれ!」と命令すると実際に頭痛が起こる仕組みです。
体の中に原因があるわけでも、体が自分で痛みを起こせるわけでもありません。

今までも「体に痛みを感じる必要はないので、この痛みは不要です。」と
どこかが痛みを感じると呪文のような言葉を唱えたりしました。
しかし、それで治ることもあれば、治らないこともありました。

痛みが起こる原理は分かるけど、本当の原因まで突き止められなかったからでしょう。
今、寝ているときよりも痛みが治まっているのは、原因が特定できたから。

しかしまだ完全には消えていないのは、
完全に私の兄弟である家族を対等な存在としてみていないから。
私は表層意識で、できる限りのことをして、聖霊に任せるしかありません。

こういう単純な仕組みが分かるにつれ、
家族や毎日接する仕事仲間という存在が居てくれて良かった!と思います。
私一人では、無意識の罪悪感を投影をすることができず、
投影しなければ、無意識の部分を癒していくことが不可能だからです。

私の周りに存在してくれる優しい兄弟たちに感謝します。
いつも自分のものなのに、投影して、それをあなたたちのせいにしてごめんなさい。

今日も兄弟たちを通して赦しを実践できますように。
聖霊の導きに従い、自分の心を自我に明け渡すことがありませんように。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク