奇跡講座のテキスト。第6章Ⅴ聖霊のレッスン(2)

柿

今日は「奇跡講座 テキスト編」より6-5聖霊のレッスン
今日のセクションは長いので、昨日と2日にわたって読み進めました。

逆転のプロセス、すなわち取り消しのプロセスにおける最初のステップは、「獲得する」という概念を取り消すことである。
奇跡講座 テキスト編T-6.V.B.3より

今日は「B 平安をもつためには、平安を学べるように平安を教えなさい。」から読んでいますが、まず衝撃的だった文章。
このBの前には、「A 所有するためには、すべての者にすべてを与えなさい」があります。

所有することと、与えることの間にある矛盾に感じる部分を解消しようとするならば、
獲得するという概念を見直す、ということにつながるようです。
獲得しなくても、私たちはすべてをすでに持っているから。

私が知覚によって人を裁いてしまう理由は、
Aさんは○○を持っていて、Bさんは▽▽を持っていて、私は××を持っているから。
その違いを感じて、多い/少ない、ある/ない、で判断してしまう。

しかし、真の姿を相手の中に見るなら(それが聖霊を見るということなのでしょう)、
多い/少ないは存在せず、ある/ないも存在しない。
すべての人が同じ。
もちろん私も同じだから、不足している何かを「獲得する」必要はまったくない。

全盲の方とお知り合いになる機会をいただきました。
今までにまったく周囲に居なかったタイプの方です。
すると考えるのです。
その人の感じ方、もののとらえ方がどういう風になっているんだろう?と。

その世界の中では、誰もの顔や体型は消えてなくなります。
そして、奇跡講座/コースのもっと後の方に、
「髑髏を着飾らせることが何のためだろう?」みたいな文章があったことが思い出されるのです。
(全くうろ覚えなので引用できませんが)
今日着ていく服や、自分の体型について悩むことは何なのだろう?と立ち止まったりするのです。

昨晩、自分が持っていないものについて、家族に愚痴をこぼしてしまいました。
以前は「○○してほしいのに、○○してくれない」という思いを溜めることで、
些細なことでもストレス過剰になり爆発していたのですが、
今回は聖霊と相談して「話してもいい」という許可を得たので、
爆発せずに、静かに相手に話しをすることができました。

今日のセクションを読んで「あらら、【獲得する】についてだわ」と気づき、
「私はまだこの地点どまりなんだなぁ~」と反省しました。

それは難しさの序列については問題にせず、警戒することのみを明確に最優先する。このレッスンは、例外を設けたい誘惑が生じることは否定しないが、例外を設けてはならないということは、実にはっきりと教えている。
奇跡講座 テキスト編T-6.V.C.4より

C 神と神の国を守るためだけに警戒していなさい。」では、
例外は設けてはならないということが再度強調されています。
自分にとって、相手が悪い存在に見えようと、良い存在に見えようと、すべてに適用です。
この悪い/良いも、聖霊にとっては、知覚に基づく誤った判断なのでしょうね。

ついこの自分の判断を先に出して、聖霊を無視して、行動してしまう日々ですが、
自分は聖霊に導いてもらわないと、正しい行動を行えない。
それくらいに思わないと、正しい判断に基づく行動はできないかもしれません。

今日も聖霊が私たちを導いて下さいますように。

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