奇跡講座のテキスト。第6章Ⅲ攻撃の放棄

ききょう

今日は「奇跡講座 テキスト編」より6-3攻撃の放棄

奇跡講座/コースには、教えることによって、それが強化される。ということが良く出てきますが、
「そういうことをシェアできる相手もほぼいないし、
スクールとかやってるわけじゃないから教える相手いないしなぁ~」と思ってきました。
が、今日のセクションで教えないということはあなたにできない。とあり、
自分の考え方を行動に結び付けていけば、それが教えているということにあたるのだと理解しました。

他者の中に聖霊を見て、聖霊を延長すること。
愛だけを教えること。
これが、私たちの使命です。

昨晩、家族と口論しそうになりました。
原因はとても些細なことで、私がやってくれると思っていたことに対して、
「やってくれなかったの?」と批判的に家族を責め、
相手は「自分がやることになってるとは思いもよらなかった!」という内容で声を荒げて怒りました。

その時、タイミング良く、聖霊のことを思い出すことができ、
相手の中に聖霊を見て、ケンカに発展しそうな場を収めることができました。

もちろん自我は勝った/負けたや、当然である、とか、
ムカつくから不機嫌な態度で相手に接しよう、とか、
ありとあらゆる魅力的な(なぜか魅力的に見えるものです)提案を持ってきます。

だけど、今回はその提案に乗らず、聖霊と共に赦すことにしました。
不思議だったのは、押し付けられた家族は、
私が赦しても不機嫌な状態が続くだろう、と思っていたのですが、
家族も、その言い合いがなかったかのように平穏な状態に戻ったことです。

口をきかずに不機嫌そうな顔をして過ごすということが、
今までは普通だったけれども、
昨日は、即座に聖霊の方法に切り替える対応を取ることができました。
そして、それは正しい方向だったことも理解できました。

徐々に赦しまでの時間が短くなっていくのだろうと思っていましたが、
日々少しずつでも、しっかりと自分の目的地を定めて進んでいれば、
それは本当に実現していくものだと実感できました。

次は、という風にうまくはできないかもしれませんが、
近いうちに同じような状況におちいったときには、
相手を責めるような発言をする前に聖霊を相手の中に見ることができればいいな、と思います。

手元に本がないので、おぼろげですが、
不死というあなたの現実の中のパーサによる福音書だったかと思いますが、
イエスの言葉で「口から入るものより、口から出るものに注視していなさい」とありました。

宗教的に主義的に習慣的に違う人の中に混じるとき、
自分の普段食べているものと違うものをいただくことになる場合もあります。
それを心配した使徒がイエスに「何を食べればいいのでしょうか?」と問いかけたところ、
イエスは食べるものはその場に出されたものを食べなさい、
それよりもあなたたちが話す言葉の方が重要です。と。

自分から出ていくもの。
反応ではなく、訓練された正しい心として聖霊側の行動を、
今日も私たちが聖霊と共に行っていくことができますように。

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