奇跡講座のテキスト。第3章Ⅶ創造 対 自己イメージ

あさがお

今日は「奇跡講座 テキスト編」より3-7創造 対 自己イメージ

今日のセクションでは「楽園追放」に対する考え方が書かれています。
楽園追放は、神が仕組んだことではないし、実際には起こっておらず、私たちが幻想の世界に逃げ込んだだけ。
幻想の世界だから「死」は存在しないが、死を信じる私たちの信念は存在する。
この世界から私たちは死によって去るのではなく、真理によって本当の意味でこの世界から去ることになる。

死ということに関して論ずるのは難しいですが、
この世界のものはすべて変化するものであり、始まりがあって終わりがあります。
変化するものに永遠はありません。

私たちの幻想の世界では死という肉体の終わりがあるとされています。
それはそうなのだけど、本当の意味で死というものは、私たちにはありません。
状態の移行、というと、分かりやすそうです。

確かに肉体という媒体を持たなくなるので、
しゃべったり、一緒にくつろいだりすることはできません、交流もできなくなります。
だけど、変化しても、永遠であるものは存在しつづけ、私たちと共にあることは確かです。

一時期、私は死ぬことを、肉体という制限から解放されるお祝いごと、ととらえていました。
しかし、奇跡講座/コースを学んでいくと、それも違うな、と感じます。

めでたくも、かなしくもない。
もちろん、肉体の死を知ることは、身近な人でも、知人でも、見知らぬ人の死でさえ心に突き刺さるものがあります。
しかし、真実として考えると、ただ単なる幻想の世界の中での状態の変化です。

奇跡講座/コースの学習者として一緒に学び続けている、ふうさんという方からいつも素早い情報が入ってきます。
昨晩は、ワプニック博士の病状についてFACIMに掲載されている、というものでした。
(いつもJACIMの更新情報も教えて下さり、とても感謝しています!)

心はやはり動揺し、どうすればいいんだろう?と悩みました。
最終的に出た(今、ようやく(笑))結論は、

おめでとうでも、行かないで、でもなく、
移行に際して彼の苦しみが少ないものでありますように、
彼から必要なだけ受け取り、私が必要なだけ彼に与えることができますように。

悲しんだり、泣いてもいいと思うのです。
ただ、その反面、映画を見ているように、私たちは幻想の世界を生きていることを心の片隅で覚えていることが大切です。

悲しむ際には、罪悪感は必要ありません。
悲しいものは、悲しいのです。
当然の感情です。

今日も聖霊が私たちに優しく寄り添ってくださいますように。

***
奇跡講座にもとづくヒーリング
ピースフルヒーリング 108star

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