奇跡講座のテキスト。第3章Ⅵ裁きと権威の問題

あさがお

今日は「奇跡講座 テキスト編」より3-6裁きと権威の問題

夏の終わりに朝顔を連続で掲載中です。
桜の季節に桜をあまり載せないうちに季節が変わってしまったから(汗)
春はたくさんの花が咲き、景色が一変する季節なので仕方ないかも、ですが。

2020年のオリンピック開催都市が東京に決定しました。
喜ばしいことです。

これに携わっている人たちは今後、仕事上の大きな変化があるでしょうし、
実際に行動を起こしていかなくてはなりませんが、
直接関わっていない人たちは、刺激的な空気に流されず、
自分と向き合い、聖霊と共にある日々を過ごしていきましょう。

大きな刺激になることは間違いがなく、自我が大喜びする機会でもあります。
そこを逆手にとって、自分の目指す道への近道を進めるように日々共に歩みましょう。

今日のセクションを読んでいて「うんうん、そうだよね」と思うのですが、
また聖霊や奇跡講座/コースのことがすっかり抜け落ちてしまう瞬間には、
やはり裁くことを日常茶飯事で行なってしまいがちです。
裁こうとする自我にストップをかける、それを習慣づけられたらいいな、と思います。

私はマンションに住んでいて、隣にはファミリーが住んでいます。
小学生の子どもがその家庭にいます。
そのコが、私と会ったときに、一切挨拶をせず「ぷーん」と無視するポーズを取ります。

それに対して、最初は気分が悪くなり、落ち込み、
そのコに会わないように、すれ違うことのないように、
そのコの声がする時間は出歩かないようにしていました。
そのコが外で遊んでいる時間帯と思えるときは、わざわざ遠回りをして別の道から家に帰ったりすることも多くありました。

次に私の感情に登ってきたのは怒りです。
同じマンションに住む他のコは、そのコと一緒に遊んでいても、挨拶を返してくれます。
そのコがご両親と共にいても、両親は挨拶を返してくれますが、そのコはぷーんです。
そして、そのコのぷーんに両親は「ほら、お隣なんだから挨拶しなさい!」とも言いません。

壁一枚の向こうに住むファミリーですから、
私たちにとっては普通の行為が、向こうのファミリーにとっては不快で、
それを家族内で話題にし、子どもはその不快感を私に会うときにあらわしているのでしょう。
しかし、両親からは特に苦情などはなく、その理由はうかがい知ることはできません。

隣にそのコの挨拶を理由に、私に対する不満を聞きに伺おうかと思ったこともありますし、
そのコに対して何か怒りをぶつける方向で対策を立てようかとも思いました。
その家族が困ることで表現しようかな、とも思いました。
(行動に移すことは毎回聖霊に止められたので行動には一切移しませんでした)

ずっとぐるぐるしていて、次に思いついたのは
「かわいそうなコ扱い」すること、でした。
そのコは、理解できないけれど、何か特定の理由があって、私を毛嫌いしている。

そんな小さな頃から不満の種を持っていて、なんて哀れでかわいそうなコなんだろう!
理由は何かあるにせよ些細なことで、それによって私に会うたびイヤな気持ちになるなんて。
両親に刷り込まれているにせよ、人に対して不満を持ちつづけるのは相当なエネルギーなのでかわいそう、と。

仏教的な慈悲の心、というものかもしれません。
そこまで行ったときに、私は隣のファミリーやそのコに対して攻撃するというあらゆる策を自分の中で取り下げました。
かわいそうだから、自分とは違うレベルの場所で苦しんでいるから、という仕組みです。

半年か一年くらい、怒りと慈悲っぽい部分の行き来がありました。
今年の初め~春にかけて、ようやく奇跡講座/コースで求められている気持ちに自分を置くことができるようになりました。

それは【裁かない】ということです。

今日のセクション、どの文章も今の私の気持ちを表しているので、
抜き出すことは不可能です。

裁かないことは、本当の意味での慈悲につながります。
それは、レベルが上のものからレベルが下のものへほどこされるものではなく、
同じレベルで存在する神の子への愛情です。

隣に住む子どもにわけも分からず拒否される、
ということは私の中に大きな石を投げ込まれたような事態でしたが、
結果的にそれによって一つ歩みを進めることができることにつながりました。

苦しいことは、楽しいことよりも人を成長させてくれます。
今日も聖霊と共に、平安の中に私たちが在ることができますように。

***
奇跡講座にもとづくヒーリング
ピースフルヒーリング 108star

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