奇跡講座のテキスト。第3章Ⅱ真の知覚としての奇跡

あおぞら

今日は「奇跡講座 テキスト編」より3-2真の知覚としての奇跡

昨日は事務所の移転で朝から休みなく働いていたので、
(ブログを書こうにも、PCが突然シャットダウンしてしまうので復旧まで何もできませんでした~)
じっくりと考える暇もなく、短い時間に思いついたことを書いただけなので、
私の日記程度の記事になってしまいました。

今日からようやく以前に近いペースで書くことができそうです。
夏の間、体調不良で毎日していたことを殆ど中断していますが、
奇跡講座/コースに関わることだけは、その間も続けました。

毎日、何かを行うことは大変ですが、
奇跡講座/コースに関することや、その学びは習慣に昇華させようと思うものですし、
その学びには体調というものが関係ない、どちらの状態であっても意味をなさないものだからです。

今日のセクションの中では、光と闇、有と無は同時に存在できないとあります。
無垢性も完全に無垢であるか、無垢でないかのどちらか。
部分的に無垢な人は愚かになりやすい
、と。

どちらかしか存在しないのに、「部分的に無垢」というものが存在するのはどういう意味でしょう。
私は、これを無垢ではない人が完全な無垢性を手に入れるための移行段階だととらえます。
つまり、今の私の状態は、いつもどの時間もどの瞬間も無垢であることはできません。

努力はしていますし、訂正も行っていますが、無意識に見逃している心の動きも多くあります。
無垢ではない人が、いつの瞬間も完璧に無垢である状態にひとっ飛びになれるわけがない!
ただ、愚かではあると認識しているで、この移行段階ができるだけ早く終わるようには努めます。

今日も電車の中で、神の子として周囲の人をみるようにしました。
どの時間の電車に乗っても、私の心にカチッと引っかかる人は必ず現れます。
その人を自分と他者という区別をせず、
その人は私の一部であり、私はその人の一部であり、
神の子として一つだと認識するようにしました。
事態は変わらないかもしれませんが、私の心は少し楽になったような気がします。

昨日のセクションで「ただ他の心を敬う」とありました。
つい批判や裁いてしまいそうになる私たちの心の中にスキマを作り、
聖霊と共に歩めるように今日も一日を過ごしましょう。

***
奇跡講座にもとづくヒーリング
ピースフルヒーリング 108star

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