奇跡講座のテキスト。第1章Ⅴ全一性と霊

竹林

今日は「奇跡講座 テキスト編」より1-5全一性と霊

肉体の中にいると信じている間は、愛のない表現経路か奇跡的表現経路を選ぶことができる。
自分の目の前に起こる出来事にすべて奇跡的表現で対応していくのは、とても大変なことですね。
ものすごく困難な時に、相手を赦すことは徐々にできるようになりつつありますが、
いつも、どの瞬間に現れるどんな相手にも、となると・・・

仕事中は奇跡講座/コースのことをすっかり忘れている時が殆ど。
しかし、今日、少し自分の仕事中における心の反応を見ていると、こりゃダメだ(汗)と思いました。
今の時点で気づいて良かった!

困難をもってくる大物に対して赦しを行えても、
ちょっとした面倒なことを持ってくる人たちに対しても同じように対応できなければ!
できたできたと喜んでいたのは、まだまだ序の口段階だったのですね~

時間を必要以上にかけない、ということも重要。
私は面倒くさがりなので、内容の重いものはいつも後回しで作業してしまいがち。
後回しの選択もできますが、その分、手をつけるまで気になって仕方がなくなります。
先に遊んで後で仕事することを選んだ場合、遊んでいる時もチラチラと仕事のことが思い浮かんできて・・・と。
後回しにせずに、今行動することもできるのに!
今行動する、という決断をして、実際に行動するのも、ちょっとした意欲が必要ですね。
イエスが「ほんの少しの意欲が求められている」と言っている通りだと思います。

奇跡講座とはまったく違うスピ方面でも、魂は完璧だから、癒しは必要としていない、と学んだことがあります。
奇跡講座では霊と表現していますが、私の日本語では霊というと幽霊に直結してしまうので、魂の方が気持ちよく受け入れられます。
魂(霊)から、心、身体がストレートに意思疎通できていたら、どんなに楽にこの世界を渡り歩けるでしょうか。

浅い根も、この訓練されていない心も、すべてパーンと取っ払ってくれたらどんなにいいだろう。
本当に祈るだけでなんとかなる、とか、お布施するだけでなんとかなる、のならば。

新たな世界が自分の前に開けたら、それ以上に素晴らしいことはないだろう!
と、心の片方で思いながらも、聖霊にすべてをゆだねることを拒否しているような状態です。
だから、仕事中は無自覚になり、心をコントロールすることを放棄しているのです。

まずはコントロールの主導権をすべての時間において、自我の手から自分の手に戻さなくては。
奇跡講座をしたためたパートナー、ウィリアム・セットフォード氏がお亡くなりになる直前に「ようやくできたぞ!」と喜んだのも納得です。

そんなに簡単に達成できるものではない。
だけど、方法はシンプルで、いつでも始められるし、誰でもトライすることもできる。

長い道のりを感じて溜息が出そうですが、
ある程度、軌道にのってしまえば、その行程の長さは全く気にならなくなるのでしょう。
すべての瞬間を聖霊と共に歩むことができますように。

***
奇跡講座にもとづくヒーリング
ピースフルヒーリング 108star

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