奇跡講座のワークブック。の321番目

水滴

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は321(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)

今日からまた新しい節(というのかな?章ではないようだし・・)に入りました。
この言葉の解説も321・331・341・351の頭にある4個のみ。

この夢の世界で何かあると、おやすみしたり、引き伸ばしたり。
毎日1つ進める、ということはなかなかできませんが、
「マイペースで進める」ということに対して罪悪感をあまり感じなくなりました。

何回かお話してきたように、
私は完璧を求めて、完璧になれず、自分にがっかりして落ち込む、そして目指したものは「ダメだったもの」として放棄する。
ということを繰り返してきました。
沢山のものを「完璧に達成できなかったから、私には無理」と、闇に投げ捨てて。

しかし、奇跡講座/コースを少しずつでも、休みながらでも続けることができるようになって、考えが変わってきました。
大きな目標に到達するには、沢山の試練があります。
目標を持ち続ける限り、試練を乗り越えられる段階になれば、次のステップに進める。
そういうことの繰り返しなのです。

一つの試練にまごついて、前に進めなくなるときもあります。
それは私の経験値が足りないから。
この世界で時間を使うことによって、関連する出来事が起こって経験が増し、越えられなかった試練を越えられる時が必ず巡ってくるのです。
その目標を見失わず、求める限り。

例外もあるかもしれませんが、奇跡講座/コースに関してはそういう風に考えています。
自我は目標を見失わせる手法に長けているので、誘惑は多いのですが(笑)

私はずっと自由を求めてきたような気がしています。
親から離れたかったし、飛躍すれば、人間や地球から離れたかった(笑)
だけど、たとえ親から離れても、別の制限が存在し、
地球から離れることができても、また別の制限が存在することが分かりました。
この世界に本当の自由というものはない。

だから、今日のレッスンは納得できる。
言葉で現すことが難しいけれど、神の世界を通して、ようやくこの世界に自由を持ち込めるようなイメージ。
レベルというのか、層といえばいいのか、難しいのですが、
今私が感じている「この世界」というレベルには自由はありません。

奇跡講座での学びを伝える時、混乱してしまうときがあります、今回もそう。
頭の中にイメージとして広がっているのに、それを言葉として持ち出すことができないのです。
視覚的、というものでもないのですが、私の言語能力が低いのか、言語に限界があるのか・・・
とにかくこれを共有したいけど、共有する術が見つけられない。
(ちょっとイラッとします)

神の世界に少し近づいた時の感覚も同じように共有できないもの。
「神の使者」や「不死というあなたの現実」を読んでいて、同じような言語化できないシーンをもやっと記載されているところを読むと、「うわーん、それを文字にしてよ!」と思うのですが、このブログを読まれる方も同じような気持ちになられると思います。

こういうことが頻繁に起こるから、奇跡講座/コースは独学可能な形式になっているのかも。
もちろん、グループなどで他の人と交流しながら進めるのも良いと思います。
私には難しいけど、そのほうがうまく進められる方もいらっしゃるでしょう。
ただ、こういう「感覚」は個々の体験です。
そして、これを共有することによって自我による「間違い探し」が始まるような気がします。
他の人と違うから、これは間違った経験の認識ではないか、と。

私の「自由な世界」に関するイメージも、これと同じ種類のものなのでしょう。
私はここで具体的なイメージを共有するのではなく、そういうものがあり、そういうものを感じた時には否定しないでよい、ということを共有することが重要なのかも、と今思います。

***
おかげさまで108starは5周年を迎えました。
奇跡講座にもとづくヒーリング
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