奇跡講座のワークブック。の94番目

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は94。(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)

日曜にオウム真理教に関するドキュメンタリードラマをNHKでやってた。
前半部分しか見れなかったけど、相変わらず私の中ではオウム真理教はノドにひっかかった骨のような存在。
どんなに至上最悪の無差別銃乱射殺人事件が起こっても、私の中ではコロンバインがトップに上がってくるように。

で、教祖のポア思想を大規模テロとして実行に移すまで、その過程をちょうど見てた。
ドラマを見てる時には「えっ?なんでそうなるの?」と思ったけど、
今日、改めて考えたら、「十分ありうる」と思った。
うまく説明できるかどうか分からないけど。

教祖はポアすることを悪ととらえなかった。
教祖がポアに関与することによって、相手が死亡したあと、高い位に持ち上げられる。
だから結果的に殺された人は、教祖によってポアされたことを感謝すべきだ、ということ。
つまり悪ではなく、全世界の人類に対する善だと解釈した。(とんでもないけど)

最初は、自分たちをおとしめようとしている(という風に教団側が解釈した人)がターゲット。
世界の救世主となりうる(と、自分たちは信じている)教団に対して、ネガティブイメージを持つ人、それを周りの人間に吐露しようとしている人など。

狂ってる、と普通の感覚なら分かる。
だって、人を殺して、どこが救世主?って。

だけど、選民意識にとりつかれた人たち(教団の人たち)は違う。
なぜ選ばれた私たちがネガティブキャンペーンはられなくちゃいけないの?って。
あなたたちを救うべく、日々修行をつみ、こうして教祖さまと共につつましく歩んでいる私たちが?って。

スピリチュアルな道に足を踏み入れた人や、そういう世界で人に忠告を与える立場になった人たちがとても陥りやすい、あまいあまい罠。
他の人と自分が違う、自分の方がレベルが高い、と思ってしまう。
そして、高い人は低い人を導かなくてはならない、と勝手に思う。
その意識が、その人の存在価値にすりかえられてしまう。

私の例だけど、スピ系に入っていくには、その素地があって。
認められたいのに、認められてこなかった。
ただ、自分の能力不足で、認めるに値しなかっただけなのに、周りの人の見る目がないと思った。
認められるのではなく、反対に、さげすまれた経験もある。
生きづらい。

こういう状態で、スピ系に入ったものだから、
みんな個性が大切。
個性があるって、素敵なこと。
という言葉に踊らされて、スピって楽だなぁ~認めてくれるんだ、嬉しいな。に。

ここで当分ぐるぐるして、奇跡のコース奇跡講座に出会ったからいいけど、出会ってなければ、考え方のベースはオウムと似たようなものになっていたかも。
私は選ばれている、と優越感をくすぐられる感覚。

奇跡のコース奇跡講座は、すべては同一。
自我が自分の価値を高めるため、分裂を望み、多くの自己が生まれたと。
分裂や個性は自我であり、同一は善なるもの。
すべてが同一だから、「私」に適用できることは、すべて「あなた」にも適用できる。
「あなた」は、大切な友人にも適用できるし、イラつくあの人にも適用できる。

たとえば今日のレッスンは、

私は神が創造したままの私である。
私は永遠に神の子である。

奇跡講座 ワークブック編 レッスン94より

これを私だけでなく、イラつく人にも、大切な人にもあてはめていく。
その時に自我が抵抗するようならば、その様子も「ははーん、抵抗力強し!」と眺めてみる。
眺めるとテキトーな頃合に、その抵抗力が小さくなるので、そこを見計らって、もう一度適用してみる。

すべての人は一つの自分。
私だけが神の子ではなく、すべての人が同様に神の子であり、無罪であること。
とても重要な奇跡のコース奇跡講座の中核となる部分です。

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