奇跡講座のワークブック。の76番目

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は76。(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)
またまた3日もやっているのに、どうもしっくり来ていません。
明朝、もう一度考えて、精霊にもちょっとだけ相談して進むか、もう1日やるか決めます。

私、そういえば、あまり精霊に相談するのって、スキじゃない。
自分の意志と違うことを言うことも多いので、少しムッとするんですよ。
やっぱりやりたいように、やりたーい!と思っちゃうから。

でも、精霊の言うことって、殆ど当たっていて、
(ゲイリー・R・レナード氏もそう言ってる)
その自分の意志とは違ってるのに、当たってることにまたまたムッとするんです(汗)
それは置いておいて・・・(笑)

レッスン76では、神の法則のみが唯一の法則であり、この世にあるあらゆる法則(「常識」とも言い代えられるかも)は、まったくの嘘っぱち
—という内容です。

言葉ヅラでは分かります。
言葉ヅラでは、理解できる気がします。
だけど、実際にあらゆるものに適用するのは勇気がいります、決心がいります。
ま、コースの冒頭の「ワークブック序文」には、

この「ワークブック」が提示する概念の中には、信じがたいものや、驚愕させられるようなものがあるかもしれない。そうしたことは問題ではない。あなたはただ、指示される通りに、その概念を適用するだけでよい。それらの是非を判断することはまったく求められていない。

奇跡講座 ワークブック編 ワークブック序文より

とあるので、適用することだけが私のレッスンなのでしょう。トホホ。

一番私にとって難しくて、かつ身近な問題が、「病気と体に関すること」。
病気は、体に注目を注ぐべく、自我が用意する最大の煙幕。
体を痛めつけているのは、心でしかなく、しかも、他人の心ではなく、自分の心。
体はいつもニュートラルな存在で、指令はすべて心から発せられて、体は受け取り、その信号を送り返しているだけ。
つまり、体が「自主的に悪くなる、病気になる」ということは、ありえない。

どこかが痛いとき「アルコール飲みすぎてるからなぁ」とか、「運動してないからなぁ」というのは、まるっきり方向違い。
自分の心が、ここの部分を痛くしよう!と、体に信号を出し、体はそれを受け取って、五感に同じものを返しているだけ。
心が修正されれば、その回路も修正されます。

私は痛いのがキライなので、こういうことをよくやってます。
「あー、これは私の心が体に痛くなるように指令してるだけなんだ」って。
それを何回も唱えていると、うまく治ることもあれば、治らないこともあります。

手っ取り早く治したいときには、薬も使います。
薬が体の痛みを治すというのも、大いなる思い込みの法則に過ぎませんが、まだまだ修行中の私は頼らざるを得ないときもあるので。
そして、やっぱり薬はテキメンに私の痛みを取り去ってくれるように思えるので、自分の薬に対する思い込みはまだまだ強固なんだなぁ~と思うことしきり。

「あー、私、やっぱり肉を食べちゃったから体が拒否反応起こしてるんだわ」
、と思う人には。。。
不死というあなたの現実の中、パーサによるトマスの福音書の中に・・・

「いずれかの地域に行き、いずれかの地方を歩くとき、人々があなたがたを迎えるなら、彼らが供するものを食べなさい。結局のところ、何があなたがたの口に入ってもあなたがたを汚すことはない。それよりも、あなたがたの口から出るものが、あなたがたを顕すのである」

不死というあなたの現実 パーサによるトマスの福音書より

という一節があります。
何を食べようが、何を着ようが、問題ない。
本人が気持ちよいものを食べて、気持ちよいものを着ていればいい。
体はニュートラルなので、何を摂取してもそれに対する罪悪感がなければ、悪い状況には持っていかない。
だから、取り入れるもの、それらは問題ではなく、自分が出すもの、何を表現するか、何を言うかが問題である、ということです。

だから、「この食べ物には問題がある」と思って食べると、きっとその食べ物由来のネガティブな出来事が起こります。
そう思うなら、それを食べなければいいことで、他の人にも食べないように勧めるのはおかしいことです。
他の人にはその食べ物に対する罪悪感がなければ、何も起こりません。
わざわざ人に自分と同じ罪悪感を持たせないようにしましょう>私。
・・・と思いました。

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