奇跡講座のワークブック。の68番目

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は68。(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)
今回の言葉は、原書では“Love holds no grievances.”。
神の使者の「第5章 エゴの計画」前半部分でも大きく取り上げられているところ。

昨日までなんとなーく3日間に渡ってワークしてみました。
このレッスン68は、まさにエゴシステムについて書かれています。
神の使者での会話から解説を少し書き出してみると・・・

ゲイリー:ぼくが赦したくないと思うこと、それどころか直視するのも厭だってことは、「コース」が語る密かな罪と隠された憎悪、つまりぼくの自己嫌悪のシンボルだろう。ただ、ぼくはそのシンボルを外部に投影しているから、自分の外にあるように見えるんだよね。自分自身を赦し、無意識の心を精霊が統べるのを助けるには、「彼」とともに見たくないことの覆いを外して観察し、さらにそれを赦し続けなくちゃならない。精霊がぼくの無意識の心を統べると言ったけど、じつは「彼」はぼくなんだよな。ぼくのなかのより高い自分、キリスト、あるいは「真実」と呼ぶものなんだね。
ぼくがあきらめたくない物質的なことやこの世の欲望は、真実の代用品として—ぼくが追いかけ崇拝するように—置かれている、すべてが現実だと思い込ませるための偽りの偶像じゃないかな。

神の使者「第5章 エゴの計画」より

私がここのワークを3日間続けてみたのは、自分の陥りやすいポイントを少し詰めてみたかったから。
私が陥りやすいポイントとは「世の中のあらゆる出来事を批判しがちな人を、批判してしまうこと」です。
これ、ちょっと、批判気味な傾向が薄れてきたときの「落とし穴」みたいに用意されてるんじゃないかな。

以前はなんでもかんでも、評論家きどりで批判してきました。
人の考え方から、行動や生活習慣やクセにお洋服に至るまで。
思いついたときには、何かの形で外に批判を表現していました。
それは私の批判がある程度正しいと思い込んでいて相手に修正してほしい、のと同時に誰かに同意を得たかったのだと思います。

それについて、奇跡講座 ワークブック編をしたり、奇跡のコース テキストを読んで実践することで減らすことに、徐々にですが、成功しています。
(あっ、小池 龍之介さんの著書にもお世話になっています。)

それが収まったのに、その次に出てきた新たな傾向は
「この人、なんで批判ばっかしてるのさ!楽しいことも話すけど、ブツクサ言ってること多いよね!」です(汗)
なんか、自分では「自分はできてるのに、あなたはできてない」みたいな、上から目線モードになっています。
とっても無意識で、とっても自分にとっては自然なこと。

ある時点ではそれが使命のように感じられることもあるのです。
つまり「批判している人を修正することが、私の使命ではないか。」ということ。
この部分、セラピストさんとか、ヒーラーさんとかが、すっげー陥りやすい罠だと思います。

まさにパーサによるトマスの福音書の言葉です。

[26] あなたがたは兄弟の目のなかのチリには気づくが、自分の目のなかの丸太は見えない。自分の目から丸太を取り除けば、はっきりと見えるようになり、兄弟の目のチリも取ることができるだろう。

不死というあなたの現実「第7章 パーサによるトマスの福音書」より

そこでっ、ワーク68に戻るのです。

不満を抱く者たちは必ず罪悪感に苛まれ、赦す者たちは必ず平安を見出す。不満を抱く者たちは必ず自分の本性を忘れ、赦す者たちは必ずそれを思い出す。

奇跡講座 ワークブック編「レッスン68」 より

不満はどんな形の不満であれ、抱けば結果は同じ。
奇跡講座の中では、不満の大きさや常識からの妥当性は関係なく、不満であればどれも同じです。
そういうところがシンプルで私には分かりやすいけど、実践には困難を伴います、トホホ。

「なんかこの人みると、いっつもイライラするの・・・」の原因を探ってみると、そういうこと。
私への罠というか、気づかせてくれるように存在してくれたというか。
すべては上手くできてます。
気づけてよかった!というポイントでした。

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