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奇跡講座のワークブック。の90番目

5月 19th, 2012 by

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は90。(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)

昨晩、家族に自分の体調が徐々に悪くなっているかも、ということを伝えました。
今年に入って、フルタイムの仕事が忙しかったので、それのツケが回ってきて、一時的なものかもしれません。
もしかしたら、今後も続いていく悪化の始まりなのかもしれません。
よく分からないけど、自分の体に起こっていることを、伝えておくべきだと思ったのです。

おや?と思った直後に話そうとしたのですが、精霊に相談すると、待つように言われました。
気づいたことは、スグに言いたくなる性質なので、コトの起こった翌日には話したかったのですが。
くやしいことに、いつも精霊の言うことは、後になって振り返ると適切だったことが分かるので、そろそろちゃんと従うことにしました。

先週の中盤くらいに、精霊に再び相談してみると、ようやくGO!の合図が出ました。
精霊が何を待っていたのかは、私にはいまだよく分かりません。

話し終えた後、家族は動揺し、うちひしがているようでした。
どうして、私にそういうことが起こるのか、そして私を取り巻く環境を改善できないことを苦しく感じているようでした。
何もできない自分に対して大きな罪悪感を持っているようにもみえました。

私は自分を責めているのではなく、
家族たちを責めているのでもなく、
もちろん周りの誰かや環境を責めているのでもありません。
ただ、突然、大きな打撃が家族を襲うよりも、少しずつ、小さな警告サインを出しておいた方が良いと判断した上で話したのです。

精霊には、また別の計画があるのかもしれません。
それは私の人生における計画ではなく、関わっている人たちの計画に関することなのかも。

話している間、家族からの反応を見る間、ずっと今日のレッスンを心に思っていました。
「(79)問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。」
「(80)私の問題がすでに解決されていることを認識できますように。」

日常の中でも、よく言われるように、「複雑に見えるけど、実は単純なことなんだ」ということ。
どんな形を取って現れようとも、いつも問題は一つのことであり、解決策もただ一つであるということ。
特別性を好む自我が、「今回のことはアレとは別のこと!とんでもないことだよ!」とみせたいだけ。

毎回起こるのは、すべて同じ問題で、解決策は一つです。
そして意外にも、それらは問題が起こった時点で、すでに解決されている、ということ。

今、私のある状況が不幸なのだろうか?
家族はかわいそう、不幸だって言うけど、本当に?
以前の状況の方が幸福だったと言えるのだろうか?

毎日のレッスンをこなしながら、よくそんなことを考えます。
果たしてあの頃の方が今よりも満たされていると感じたのだろうか?
今ではハッキリと手に取れないものだからこそ、良く見えたりするのではないでしょうか。
私はそう感じています。

奇跡講座 ワークブック編

モーリス・ユトリロさん、開花しました☆

5月 18th, 2012 by

昨日、開花するかも言ってたモーリス・ユトリロさんが開花しました。
香りは薄め。(去年もうすかったっけ・・・?)

私の中のモーリス・ユトリロの画風からすると、イメージがまったく違う花です。
デルバール社さんはどういう感覚から、モーリス・ユトリロって名づけたか知りたいです☆

私が、モーリス・ユトリロって名前をつけるなら。。。
やっぱり白バラかなぁ~
混色ならば、ごくごく薄い黄色が入っても良いかも。
とにかく静かそうなバラにこの名をつけると思います(笑)

連日お見せしていてるパット・オースティンです。
毎日毎日、新しい花が咲いています。
株全体を撮れればいいのだけど、技術が伴っていないので、むずかしい・・・
余計なものも周りにいっぱいあるし(汗)

パットはカップ咲き。
一時期カップ咲きに萌えまくった時期がありました(笑)

探して探して、どうしても見つからなかったのが、一重咲き、白、強香、つるなしです。
一重というものは、ほとんど香りなしみたいです。

開ききっちゃって、全体をお見せするのはステキじゃないので、一部だけ。
これは黒真珠。
写真が明るめに撮れているので、もうすこし黒加減を足すと実物に近いカンジ。
開きかけた瞬間は「まさに深紅のバラ!」というカンジです♪

モーリス・ユトリロがもうすぐ☆

5月 17th, 2012 by

今日の「モーリス・ユトリロ」。
明日には開ききっちゃうかも。
デルバール社(仏)のコです。

先日、もうちょい!だった黒真珠。
今日みたら、ぱかーんと開いちゃって、とてもお写真に収めるような姿では・・・(汗)
あのまま月曜とかに咲いちゃったのかな。
ベストを見逃してしまいました。

パット・オースティンも5個くらい咲いていたけど、
すべて花びらがしおれかかっていたので、すべてカットしました。
種を取るのでなければ、終わったバラは早めにカットしてあげたほうが、後々のコたち、また木のために良いです☆

もひとつ。
近々開花しそうな、ローズヨコハマ。
なんだかぺろんぺろんとめくれてきました(笑)
このコは京成バラ園芸作出。

やすみじゃない日も、朝、2~3日はちらりと覗いた方がよさそう。

わたしの3・11*茂木健一郎(編)

5月 16th, 2012 by

「3月11日あの日、何をしていたか。そして今、何ができるか」。脳科学者の編者を筆頭に、16人の著者が綴る「東日本大震災復興」への渾身メッセージ。 未来へ語り継ぐ“ぼくらの実録”として、必読の書! 〈本書の印税と売り上げの一部は毎日新聞東京社会事業団を通じて「東日本大震災」支援のために寄付さ せていただきます。〉

わたしの3・11 あの日から始まる今日

石井光太さんの「遺体―震災、津波の果てに」を読みたいと思って図書館で順番待ち。
なぜか千代田区立図書館に入らないので(リクエスト済み)、文京区立図書館で順番待ち。
図書館だって、選書する人がいて、購入予算があるのだから、なんらかの意図があるんだろうけど、どういう理由で購入されないんだろう?
ちょっと知りたい(笑)

待っている間ヒマなので、石井さんの今までの著作から何か読もうと思った。
図書館にある蔵書の内容を見ても、いまいち自分が読みたいと感じないので、さて・・・
と思っていたところ、この本を発見。
多くの著者の一人に石井さんの名前があった。

【目次より】
「連帯の時」茂木健一郎
「記憶は伝播しづらいものだから」堀江貴文
「報道と現実の間で」石井光太
「求めない」サンドウィッチマン・伊達みきお
「模索する日々」サンドウィッチマン・富澤たけし
「枝野さんといちご」山田スイッチ
「一行書いては消した」加藤千恵
「ならば、問いたい」竹内薫
「アジアのショッピングモールで」渡辺浩弐
「心性に根ざす日常」浅野智哉
「私はどれほど無自覚だっただろう」雨宮処凛
「何事にも終わりはない」村治佳織
「神戸が育んだもの」京田光広
「『津波の痕跡』を記録する」渡辺満久
「私はもうしばらくこの仕事を続けるつもりだ 」上杉隆
「レッツゴー、いいことあるさ」高橋源一郎

石井さん以外には興味がないけど、(あ、サンドウィッチマンには、少しある)
彼の震災関係の話であって、「遺体」につながっていくのだろうから、読んでみようと思った。
文章が短い(だろう)ことも、「石井さん慣らし」になるだろう、と。

こんな本の存在は知らなくて、売上の一部が寄付に回ることも知らなかった。
amazonのレビューはかなり厳しい。

だけど、石井光太さんの文章はよかった!
震災直後、自分がどう行動すべきか、を考える石井さん。

 予定通りのことをするのがもっとも簡単で、うま味のある道だろう。決まっている何本もの連載をこなし、隔月ベースで本を刊行し、講演会を引き受ける。それが一番生活を安定させる方法だ。だが、こういう選択に迫られたとき、私はかならず一つの指標で自分の行動を決めることにしている。「小学生だった私が、今の自分を見たときに何をしてほしいと望むか」ということである。

 「大人のくだらない都合などどうでもいいから、今すぐに被災地に行って、君にしかできないことをしろ」と叫ぶに違いない。高みの見物をして、知識だけでオピニオンだけを並べる人間にだけはなるなと言うはずだ。

「報道と現実の間で」石井光太 より

私も自分にしかできないことを、東京でやっていた。
被災地に行きたい気持ちはあったけど、資金も、移動手段もなかった。
私の勤める会社は社長と二人の会社で、24時間365日のコールセンターを後ろに抱える仕事。

お客様は全国におり、震災で東北や関東からのオーダーは殆どないかもしれないけど、九州や西日本からのオーダーはあってもおかしくない。
うちには子どもはおらず、私自身が産むということもあきらめてる。
旦那さんは育ち盛りではない。
多少のダーク物質がやってきても、「仕方ないよね~」と言えるご身分。

・・・となれば、東京で働くのが一番復興に近い、と思ったのだ。
もちろん、遠隔でのヒーリングは毎日ボランティアで行っていたけど、東京で通常通りの生活をして、いろんな意味でINとOUTをさせることが、私にしかできないし、私ならできることだと思った。

石井さんの文章では、その被災地で、
遺体をさがし、ブルーシートをはがしてまで撮影するカメラマン、
ハッピーなニュースを発掘するよう送り込まれるメディアなど、
あのとき、あの状況でしか見れなかったことを見て、こうして文章にしてくれている。
この文章を読んで、「遺体」がさらに楽しみになった。

サンドウィッチマンの二人は、顔を知っている程度だったので、彼らがどうして被災地にとことんこだわり、寄り添っているのか分からなかった。
これを読んで納得できた。
周りの人の判断如何では、彼らも津波で死んでいたのだということ、そして仙台出身だということ。

同時に彼らのジレンマも書かれている。(それは多くの人が同じように抱えたジレンマだけど)
「自分のプロとしての職業を通して被災地にプラスになることをしたいが、直接それを投げかけてもいいのだろうか?」ということ。

この本は、多分、震災から1ヶ月後ぐらいに著者たちが書いているもの。
その微妙な、直後でもないけど、終わっているものでもない、という時間軸の中で、それぞれの人がどう行動すればいいのか?に悩んだり、何を書けばいいのか?に悩んだりしているのがとてもよく分かる。

文章それぞれのレベルに違いがありすぎる、プロなんだから!とお怒りの方もいらっしゃるようだけれども、私はこの本が書き手を選んでない(いや、選んだのだろうけど)ことに安心感を覚える。

一ヶ月の時点で、作家や物書きの人すべてがパシッとプロらしく書けるものではないのだ。
それほどに震災の衝撃は大きく、この時点で私たち普通の人と同様にとまどっている人もその専門家の中には多かったんだ、と分かるから。

山田さんの「枝野さんといちご」。
ものすごくよく分かる。
あの、直後の状態の中で、私も枝野さんに枕、とか考えた。
今では、今の状況の中で枝野さんの言動にイラだつ人もいる。
不思議なもんだな、人って・・・と思うばかり。

竹内薫さんはサイエンスライターで、震災前は原発肯定派。
この本の中では、その時点で推進派とは言わず、やや肯定派のようなところに留まる。

私は「ビミョーに否定派」。
自分たちの手にあまりすぎるものだと思うから。
コントロールができないものをあまり近くに置きたくない。

だけど、肯定している人にはそれなりの肯定する理由があり、それは私の「やや否定」なんかよりも巨大な理由なんだろうと思う。
だから私は、ちょっぴり節電するだけ。
自分の楽しみや見栄が、原発を動かす力につながらないよう努力するだけだ。

フリーライターの浅野智哉さんは「人は汚くもあり、美しくもある」と言う。

大勢の人が同時に困ったとき。自分の利益だけをかすめ取ろうと考える者がいる一方で、無条件に他人に助けの手を差し伸べる者がいる。
人は汚く、そして美しい。清濁が混ざり合い、編み重なってゆくのが私たちの日常なのだ。
3・11以降の出来事は、すべて非日常ではない。「M9.0の地震なんて起きない」と考えていたときの毎日と、地続きだと考えるべきだ。

「心性に根ざす日常」浅野智哉 より

誰かの文章の中で、被災地の略奪行為について被災者が理解を示すこともあったよう。
「盗みをはたらく人も、きっと厳しい状況のなんだろう」と。
お人よしなのか、怒るエネルギーがないのか、本当にやさしい人なのかは分からないけど。

フリーライターの上杉隆さんの文章では、直後の官邸、そして東電とのやりとりがわかる。
メディアの裏側を知らない私は、こんな状況が繰り広げられていたとは知らなかった。

いろんな人の3.11と、3.11経過1ヵ月後くらいの様子が分かる本。
それぞれの人がそれぞれの判断で、毎日の生活の中で何を選択していくかが迫られたときだと思う。
そして、何を書くか、についても。

一人の書き手だと、ある一つの意見に偏ったものができるだろうけど、この本はまんべんなく流れているカンジがする。
それでいいんじゃないかなぁ~と思った。
ただ、自分にできることを、自分の中でベストとすることを選択し続けているだけなのだから。

わたしの3・11 あの日から始まる今日

奇跡講座のワークブック。の87番目

5月 15th, 2012 by

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は87。(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)

昨日は85だったのに?! とおっしゃる方、ごめんなさいm(_ _)m
昨日のエントリは一昨日書いて保存しておいたものです。
実際のところ、私の昨日のレッスンはレッスン86です。

帰りの電車の中。
1本目の電車は混んでいるので、すぐにホームに入ってきた2本目に乗ることに。
そしたら座れちゃったので、座って帰ろうと思いました。

電車が動き始めてから、むこうを向いて立っている女性のバッグが目に入りました。
「あかちゃんいます」のキーホルダーに似たもの、つけてる。
ちょっと首を伸ばして凝視してみたら、やっぱり「あかちゃんいます」。
最近、新しいデザインも出てきているみたい。

譲るか、譲らないか考えました。
帰宅ラッシュ時間の電車。
すべてのシートに人は座っていて、立っている人も多い。
さらに次の駅からどんどん人は乗ってくるばかり。

良いコト、と思うなら、「スグに譲るべき」とわかるんだけど、
もう一人の声がしてきて、
「だって目の前に立ってる女性じゃないし、ほんとなら向こう側の人が譲るべきじゃん?」とか、
「目の前の人じゃないから、譲らなくても気悪くしないよ」とかとか。

そこで今日のレッスン思い出しました。
(74)神の意志のほかに意志はない。

・・・声は一つのハズ、もう一つの声は私の自我が出している雑音にすぎない。
ちょっと一瞬でもいいから静かにしてみよう。
その声が「まぁ、寝ておけばいいよ」と言ってくれたら、このままでよいし。

自分の気持ち、のようなものをちょっとだけストップさせ、
自分の中心から何が出てくるか、聞いてみることに。

「譲りなさい」
・・・あちゃー、やっぱり。
マジレス来た。
聞かなきゃよかった、と一瞬だまっていた自我がつぶやく(笑)

ま、そうだろな、と思って、お譲りしました。
実際のところ、今日はぐだぐだに疲れてもおらず、立って帰ってもいいな、くらいに思っていたのですし。
最後まで立っていても、やはり疲れはあまり感じなかったので、そうだったんだと思います。

私が攻撃しようとするのは、恐れているときのみであり、攻撃しようとするときにのみ、私は自分の永遠なる安全が脅かされていると信じるようになる。

奇跡講座 ワークブック編 レッスン87より

「私だって疲れてるから、席譲ったりしない!」と思うときには、自分の体が有限で、損なわれるもので、安全ではないと恐れているとき。
ほんとはこの体も無意味なので、どこにも恐れる理由はないのだけど。
やっぱりやっぱりこの「五感」や「体の概念」というのをひっくり返すには強い力・強い心がいりそう。

完全に神に依存する、ということ。
キリストが十字架の悲劇の間、感じ取っていた五感は、私たちが想像するものとは全く違うかったようです。

そうなったらすごいなぁ~
彼みたいになったらすごいなぁ~
今生では、どこまで近づけるんだろう。

奇跡講座のワークブック。の85番目

5月 14th, 2012 by

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は85。(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)

今日の二番手の復習事項「(70)私の救済は私の中から訪れる」、
この考え方がずいぶん私を楽にしてくれています。
自分を救うのに、外の世界を探しに行かなくてもいい!ということ。

生まれてからこれまで、どれだけ外の世界に救いを求めてきたことか!
ほんとに。

私にとっては、私の世界(私が世界の中心でいられる世界)なのに、どうしてこんなに生きにくいのだろう?と思っていた。
そしてそれはぜーーーんぶ周りが悪いって決めつめてました。

育てた母親が悪い、捨てた父親が悪い、育った環境が貧乏だったことが悪い。
クラスメートが悪い、認めてくれない先生が悪い。
同僚が私をおとしめる、上司が私の能力を生かさない。
旦那さんが私を引っ張る、旦那さんが進歩しない。
もう、ありとあらゆることを周りのせいに!(笑)

ものすごいですよ、これ。
自分はまったく悪くないもん(笑)
時々自己嫌悪におちいるけど、最終的には周りのせいにしたりして。

だから、この周りをなんとか制圧するために、スピリチュアルな道めぐりを沢山しました。
本を読んだし、ワークショップにも参加した。
いろんな考え方をたどり、いろんな方法を実践した。

ずっと周りと戦いっぱなし。
周りが変わってほしい、と思い続けて。

だけど、どこにも、どの考え方にも落ち着けなかったのです。
すべてを途中で放り投げている私だから、他の方法でも途中で離脱しければ道となったのかもしれません。

何をやっていても、別の何か、新しい何かに惹かれてしまう。
心ではそろそろ「スピ巡り」をやめたいと思っているのに、何かひとつ信頼して、その道を進もうとすると、どこかが足りない気がして。

そういう「スピ巡り」的な行為を、きっぱりと「必要ありません」と言ってくれたのが奇跡のコースであり、奇跡講座 です。
(二つは邦題がちがうだけ、もともとはA Course In Miraclesという同じ書籍の一部です。)

今日の二番手復習について

それは、外側で見出されてから中に持ち込まれるのではない。そうではなく、それは私の内側から延びてゆき彼方に達するのであり、私が目にするあらゆるものが、私の中とそれら自体の中で輝く光を映し出すだけである。

奇跡講座 レッスン85より

これを瞑想の中で落とし込んでいくと、心がとても楽になります。
どこにも探しに行かなくていい。
お金を使う必要もなく、特別な人に会う必要もない。

自分の中にあり、自分に与えられた環境の中でまかなっていける。
それが、とても心を落ち着かせてくれます。

奇跡のコース奇跡講座にまともに取り組むようになって、本屋さんの「スピコーナー」には殆ど立ち寄らなくなりました。
購入することもなくなり、ワークショップにも行かなくなり、誰かからヒーリングしてもらうこともなく。

自分の知らない種類のスピものに興味がなくなりました。
・・・自分の今まで学んだスピものにも興味がなくなったのですが。
それで大丈夫なんだ、という感覚が深いところで育っています。

コースの中で何回も述べられているように、これは一つの道であり、これしか道がないと言っているのではありません。
つまり、私にフィットしたものがこれであり、フィットしない人には他の道も当然ある。
だから私は勧めているのではなく、一つの選択として提示しているだけです。
合っている人もいるかもしれないから。
もしかしたら私と同じように楽になる人もいるかもしれないから。

そしてこの歩みは、時間は関係ありません。
2012年だからと急ぐ必要もなく、新しい磁気帯がやってきているからと急ぐ必要もなく、乗り遅れる心配をすることもありません。
レッスン一つ一つに時間がかかっても、読むのに・理解するのに時間がかかってもいいのです。
コースは時間の概念をも越えることができます☆

今日は奇跡講座入門の方をリンクしよっと。

奇跡講座入門―講話とQ&A

パット・オースティンの一番花。

5月 13th, 2012 by

パット・オースティンの一番花が開花しました☆
堂々たる開きっぷり!
さすが我が家の女王。

ふくよかなカップ咲き。
まぁるい花びら。
内側は濃いオレンジで外に向かうにつれ薄くなる。
たくさんのつぼみをつける。
あんまり手をかけなくてもそれなりに育ち、枯れない。

まさに我が家の母のようなバラです。
・・・これで香りがあれば!
と、1点だけ残念なのですが、フロリバンダ系っぽいコは香りが良いコはマレなので納得できるかも。

一番花はずっと咲き続けるバラにとって、一番美しい花。
これから夏につれて、花の大きさは小さくなり、暑さで咲いてもスグに散ってしまいます。

次に開きそうなのが黒真珠。
京成バラ園芸/鈴木省三氏の作品。

これも残念ながら香りがないのですが、ビロードっぽい花びらの濃赤が特徴。
葉がなよっとして、食べられやすい。
どっちかというと横に広がる。
我が家に残っている唯一の「旦那さんが選んで購入したバラ」。

私はバラに対して、色(オレンジ、黄色中心)と香りを求めるので、私ばかりが選んだ場合、同じタイプのバラばっかりになっちゃうのです(汗)
そこで旦那さんの登場です。
彼は緑光、ニコールなどを購入してくれましたが、ことごとくさよならしてしまいました(涙)
(私もホワイトクリスマス、ジュードなどなどと、さよならしています)

そうそう、今回の国際バラとガーデニングショウで初お目見えのベルバラローズ。
メイアン氏の作品ですが、上記サイトで見たときは、「古くさい赤」(私の表現です、ネガティブな意味合いはまったくありません)だったのですが、テレビで紹介されているのを見たら、黒真珠のような黒バラに見えました。
実際はどうなのでしょうね!
京成バラ園芸でもネット販売されるそうです。

我が家のつぼみちゃん達を紹介していますが、
一番最後につぼみがついたのは、クレマチス。
品種名、忘れました(汗)

クレマチスって、冬は枯れ草のようになるんです。
それで「枯れてるみたい」とバッチン!と切ると、芯は緑色だったりして、
「ぎゃああああ、間違って生きてるの切っちゃったよ!」となります。
だから、ほぼ放置。
冬の間に伸びた部分を整理したいのだけどなぁ~(笑)

クレマチス、以前は「鉄仙(テッセン)」と呼ばれ、地味な名前で和風の地味な存在だったのですが、ここ近年、様々な品種が紹介され、人気急上昇中です。(私の中では)
主張しすぎないところが、ガーデニングの小さなポイントとして役立つこと、白や青に近い紫などの涼しげな色が豊富なこと、が人気の秘密だと思います。

とにかく今年はバラを丸坊主にさせないこと!(害虫と病気で)
を目標に少しだけがんばってみたいと思います☆

夏のかんざし。

5月 12th, 2012 by

夏のかんざしを作ってみました。
夜の蛍光灯で写真を撮っているので、ぜんぜんかわいらしくみえない(涙)

実際はゴージャスでキラキラで、かわゆいのです!
魅力が全然伝わらないなぁ。。。
残念。

作品は、プチポンショッピングさんで販売していただく予定。
他にも夏に向けてヘアアクセサリー作っているから一緒に売り出し予定。
今月中には出品したいなぁと思っています☆

奇跡講座のワークブック。の82番目

5月 10th, 2012 by

今日は、「奇跡講座ワークブック 」は82。(リンク先は大内先生翻訳のナチュスピ版です☆)
2回目の復習に入ってます☆
前回の復習(レッスン51-60)は全然進まなくって、苦痛で苦痛で仕方なかったけど、今回の復習は順調に進めそう~
・・・とは言っても、いつ横ヤリが入るか分かりませんが(汗)

今日のレッスンとは関係ないことなのですが、先日、あることに気づき、ハッとしました。
76番の時にお話した「体と心の関係」について。
これって、体と自分の心の法則だけではなく、周りの人と自分の心にも当てはまるなぁ~って!

つまり。
体が自主的に悪くなるのは、自分の心が作り出している妄想が作り出す現実。
体は常にニュートラルな存在であり、信号を受け取り、その信号を処理して、送信元に送り返しているにすぎない。
・・・ってところ。

周りの人も奇跡のコースによれば、精霊であり、ニュートラルな存在。
だけど、私の自我が周りの人に対してネガティブ反応するように煙幕(過去の記憶とか)をはる。
そして見事に私は反応する。

体に信号を送って、その信号をそのまま返してもらっているのと同じ。
送り手と受け手は常に同じ私。
中間にある体も周りの人もニュートラル。

この前、77番の時に「知らないおっさん」の話をしましたが、記憶って不要なことも多い。
特に人間関係においては(笑)

周りの人はみんな精霊、というのはそういうことなのね、と思いました。

奇跡講座 ワークブック編

つぼみと家庭菜園。

5月 9th, 2012 by

家庭菜園の様子。

旦那さんから
「庭で何か野菜を育てようと思うけど、何かコレがいい!ってものはある?」と聞かれ、
真っ先に「とまと!とまと!でも、大きいの難しいから、ミニトマト!!」と私。
コンパニオンプランツのバジルを植えるのも私の提案。

旦那さんは、「きゅうりがいいと思う」ときゅうり。
そしてスーパーで買った豆苗(とうみょー)が豆類の芽だと知り、植えてみることに。
豆苗、一番行く末がナゾな植物です。
楽しみ!

現在、つぼみをつけているバラの様子。

つぼみがついていない(写真なし)のは、楽園とサンテグジュペリ。
サンテグジュペリはがんばってつけていたんだけど、先日の嵐で折れちゃった。
つほみをつけるには、苗の力が弱そうだから、この春は良かったかも。

今、我が家にあるバラはこの計6種。
週に2回、手で虫取りをしていて思うのは、これくらいの数が限界ってこと。

これからどんどん暑くなって、庭に長時間いられなくなるし、その時間に反比例して、バラの葉はおいしげり、虫さんたちも大量発生する。
(今日もデカいのが数匹いたし、卵からかえった直後状態のわらわらが一団体あった)
その時に、手で害虫駆除できなくなると、薬に頼ることになります。
薬はよく効くし、自分の手は汚れないし、手っ取り早いから。

でもやっぱり!
一生懸命手をかけて育てたものが開花するのは嬉しいですよ~
一つ一つの開花が、とっても嬉しいと思う。
大勢の中の一つではなく、それぞれに注ぐ愛情が大きくなると思う。

以前は広く浅くでいろんなものをスキになり、いろんな植物を育て、バラも何種類も育てていました。
今は自分の手のかけられる範囲が分かり、それにあわせた数に植物たちも落ち着いてきました。
美しくても、我が家の環境に負けるコはやっぱり一緒に暮らすのが難しい。
一鉢一鉢、枯れていくのは残念でしたが、まさに「手に余る」状況だったのだから仕方ない。

見回してみると、生活の中でも同じことが起こっていて。
遊び歩かなくなり、遊び友達は減り、休日も家にこもり家族たちと過ごし、インドアな趣味を楽しむ。
それは、自分のかなり近くにあるものを、大切に愛しむ生活。
こういうのも悪くない。

震災がもたらしたものだけど、ま、これもよいでしょう、と楽しんでいます。
最初のころは、以前の生活に戻りたくて仕方がなかったんだけど、求めても手に入らないものは必要なタイミングが来るまで、手元にはやってこない、ということが分かりました。
それでもたまに、あがくこともあるけどね(笑)

必要なものは、苦労して手に入れるものではなく、
勝手に向こうから「こんにちは」とやってくるような気がします。

さて、庭の続き。

ジャスミンさんが沢山、花ひらいて、庭仕事のお供として、とてもよい香りを届けてくれます。
ほんと、しあわせになれる香りだわ~
この季節ならでは。
バラと違い、何回も咲くものではないので、シーズンが終われば、また来年!

前回つぼみだった、薄緑のシンビジューム。
花が開いています。

この花が開くと、シューの亡き骸の隣にそっと添えた日のことを思い出します。
少しずつ記憶の表面から、彼女との日々は消えつつあるけれど、あのほわっとした感覚がいつまでも私の胸に残りますように。